大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

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施餓鬼供養の功徳その149

施餓鬼供養をされている方から、

小さい時から神仏に手を合わせてるけど色々なご苦労があって、どうして私はこんなに背負わなければならないんだろうと言う疑問を呈されました。

 

信仰の世界に入って来られる方は、全てと言ってもいいほど、いろいろな悩み苦しみがあるでしょう。いや全ての人々が悩み苦しみを持っている。これが人間の共通性です。

 

世の中、順風満帆に進めない、だからこそ自分の力を超えた神仏に手を合わすのだと思います。それは私も同じです。

 

しかし、手を合わせても順風満帆にならない。それでもなお手を合わせる。そして葛藤を感じる。これにはその人自身が答えや意味を見つけていくことが大切です。

 

歴史を振り返れば過去の偉大なる宗教者の一生は苦労、苦難の連続です。その苦労、苦難が偉大なる宗教者を産んだと言っても良いでしょう。

 

神仏に向かい合って自分で気づくことが血となり肉となり魂の成長となるのです。

 

この方には私なりにご返答させていただきました。その返答に対してのメールです。

 

【ここから頂いたメール】

大森先生

 

いつもお世話になります。

お忙しい中お返事を頂戴し誠にありがとうございます。

 

前回のメールをお送りした後、眠る前に涙が流れてきました。

そうしたらなぜか祖母が私の足下で泣いているように感じました。

 

「あー、おばあちゃんまで泣かせてしまった。」申し訳ないと思い仏壇に手を合わせました。

そして、『ああ、私は「よくがんばっているね」』と褒めて欲しいんだな、甘えたいんだなと思いました。

 

これがずっと両親から言われたかった言葉だったんですね。ただ、両親は他界しているからその願いは叶いません。だからいつもどこかむなしく感じてしまうんだなと思いました。

 

それでも次の日やはり私は仏壇に手を合わせていました。

大森先生の仰るとおり手を合わせているんです。不思議です。

 

そして、2歳だった息子が私の両親の遺影を初めて見てそれを指さし、「このお母さん(私)が死んだらこのお母さん(私の母)が迎えに来るんだよ」と突然言ったことを思い出しました。

そして大森先生に教えて頂いた冥護についても。

 

私には何も見えないし聞こえないけれど、私は十分守られているんだと。

そしてやはり姉も守られている。私がご先祖様ならやはり手を合わせていない姉も手を合わせる私も2人とも同じように守るもんなぁと思いました。

 

それでいいし、ただ私は手を合わせていくんだなと漠然と思いました。それが私だからなんでしょう。

その気持ちを言葉には出来ませんが、そういうものなのかなと。

 

そして仏壇の前で私はよく頑張っていると自分で自分を褒めました(笑)

そして私はこれからも不思議に思ったり納得いかないと思ったことを仏壇(ご神仏・ご先祖様)に向かって話していくんだろうなと思います。

ご神仏、ご先祖様に話を聞いてもらって、恥ずかしげもなく泣いて笑っていいんだ。それは自分自身との対話にもなるのではないかと思いました。

 

大森先生に教えて頂いたように自分の気持ちにシリソワカをつけて素直にそれを受け入れていこうと思いました。

 

これからも施餓鬼供養を続けていきます。

こうしたことが顕わになっとこともきっとお施餓鬼供養のお陰だと思います。

 

自分の都合のいいようになるべくその想いに気づかないようにして心に蓋をしていたものが少しずつ顕わになって動揺して、ゆっくりとだけどそんな自分を赦してその想いを手放していく。

 

きっと私がお詣りしている故人にもそういう想いがあって私の想いと合い重なって浄化して頂いているのかもしれませんね。

ご神仏・ご先祖様に感謝です。

 

長文失礼しました。

ご多忙のことと存じますが、どうぞご自愛ください。

大森先生、ご同行の皆様ありがとうございました。

 

合掌

 


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◎お知らせ
 

8月29日からの施餓鬼供養の申し込み締め切りは8月25日水曜日です。

必ず改訂された申込要項をご参照の上お申し込みください。