さて、記事は稲荷山にもどる。
遅めの昼食は四ツ辻のにしむら亭で。
ここのおうどんと稲荷寿司はとても美味しい。
四ツ辻からの展望 京都市街
今回は都合で変則的なお参り
一度御膳谷に向かう
御膳谷
稲荷の三つの峰は昔は禁足地だったので、ここからお供え物をしていた。
祈禱殿
ここでは1月5日に大山祭がおこなわれた。
『』内 上記サイトから引用
『その昔、御膳谷に御饗殿(みあえどの)と御竈殿(みかまどの)があって、お祭りには御饌石と呼ばれる霊石の上に神饌をお供えしたという故事に基づいて、毎年正月5日にこのお祭りが行われます。
本殿祭のあと、宮司以下祭員・参列者は揃ってお山御膳谷に向かい、斎土器と呼ばれるかわらけに中汲酒を盛ったものを御饌石の上に供えて、五穀豊穣と家業繁栄を祈る祭りが行われます。
引き続いてその場で直会をし、一同「ひかげのかずら」を首にかけて七神蹟を巡拝します。』
御饌石(みけいし)
この石の材質は稲荷山でとれる珪岩質の石だそうである。
豆ちゃん大神
豊玉大神のお塚
お塚には豊玉大神だけでなく、複数の神様の名前や不動明王の名前まで刻まれている。
稲荷山の信仰は様々な神様、龍神さま、不動明王まで「お稲荷さん」として拝まれる。
最外院の天部や夜叉鬼神などにいたるまで、すべて大日如来であるのと似ている。
身近な喩えでいえば、アイドルグループのようなものである。センターは決まっているがそこに所属している人には、全てそのグループの名称が冠されるのに近い。
このお塚は鳥居の扁額が「豊玉大神」とあるので、いいかえれば不動のセンターは「豊玉大神」の「お稲荷さん」グループなのだ。
そして現実的に、お塚をお守りして行くのに複数の家の守護神を祀っておけば、たとえ一つの家がお守り出来なくなっても、どこかの家の子孫が後々まで護持していくと言う共同体なのである。稲荷信仰は多くの神々がそしてその信仰者が支えあっている。
こちらは
砂澤先生が最後に建てたお塚
豊受大神だけでなく、豊川大神や弘法大師、不動明王まで、みんな一つのお塚でお稲荷さんである。
稲荷信仰は自分の神様だけ拝んで他は否定するというのではなく、包含的である。
私はこれが日本的な霊性をよく表していると思っている。
だから当方の修行や供養をするにあたって、他の寺社仏閣で祈祷や供養したり、その御札をお祀りしても全く問題無しという立場をとっている。
続く