今回の高野山参拝は腰を痛めたのもあって、はたして行けるか心配だった。
しかし、お大師様のお導きで順調にお参りできた。
京都からのバスもたまたま法友のI師が教えてくれた。
ありがたし ありがたし
御廟の橋のそばに建つ宝篋印塔にも陀羅尼を唱えて回向。
諸国を行脚して勧進された浄財にて 建立されている。
多くの人々が結縁したその浄行に思いをはせる。
やはり 高野山の玉川の霊水で塔婆供養するのは、格別に功徳がある。
多くの人々が拝んでいる場所の力は大きい。
これが霊場参詣の意義である。
一度参詣高野山、無始罪障道中滅
弘法大師にお供えする日々の生身供(しょうじんぐ)を御供所で作り、
「あじみ地蔵」に供えてから、灯篭堂にお供えする。
ちなみに私が聞いたところではお大師様は、たけのこ、自然薯がお好きだったとか。
腰は痛かったが、有り難いことに お大師様のおかげで一の橋まで歩いて戻る。
こちらはビルマで戦没された英霊の遺骨を納めた供養塔
お線香を供え、真言を唱えて英霊のご回向をさせていただく。
高野山成福院の先代住職、上田天瑞前官のお墓に参拝。
師は高野山大学で教えられていた。私も上田師の戒律に関する本で勉強させていただいた。
上田師は東大をでて仏教学の研究者だった。当時のビルマに留学し
自ら南方仏教の比丘になって修行し、戒律の研究を重ねた。
戦争が激化したため、帰国した。
奇跡的にビルマをたつ最後の船にのることができたという。
他の船は魚雷で海に沈められたそうだ。
上田師は、当時、高野の今大師とよばれた金山穆韶(カナヤマ ボクショウ)前官から伝授されたある修法を毎日修行していた。それはビルマに行っても続けられていた。ある日、奇瑞が起こり、この法の功徳を体験したという。その奇瑞の功徳で無事に帰国が叶ったそうである。
(幸いにその法は、私も金山師から授かった別の方から伝授を頂いた)
覚鑁上人をお祀りする。
つづく