私の伝授阿闍梨は事教ニ相にたいへん通じた大徳であった。
かたや弟子の私はさっぱりなので、申し訳なく思っている。
その師から、真言宗の僧侶の修行である四度加行の胎蔵法伝授をうけたとき、
「真言密教の極意というのは、しめされてみると、すでに知っていることである」
と教えてくださった。
もちろん、極意をしめされて「なんだ、そんなことか」と思うようでは、まだその境地には至ってない。
さて、私は若いときに、あるお寺でしばらく客僧をしていたことがある。
(余談だが私はあらゆるタイプのお寺にかかわってきた。町の拝み屋さんから本山クラスまで。その時の様々な経験がいま役立っている)
その寺の老僧が、高野山の今大師とよばれた金山穆韶前官から、先代住職とともに面授されたというある法を示された。昔、高野山に参篭したときに、不思議なご縁で金山師と知遇をえたそうだ。
その寺の先代はかなりの霊能があって信者を多く集めていたのだが、金山師から授かったこの法を拝み続けて、その功徳でお堂を建てたのだという。
そう聞いて、どんな秘法なのかと期待していた。
老僧が金庫から恭しく出してきた次第をみると、私も他の阿闍梨から授かっていた法で、内心「なんだそれは知っているよ(笑)」と少しがっかりしたが、念のためざっと伝授してもらった。
その後、その法を修することもなかったのだが、先般高野山にお参りしたとき、
ある大徳が数十年にわたりこの法を修して、ついに奇瑞を得た話を聞いて、驚くとともに、つくづく自分が未熟だったと思い知った。
ほんとうに極意とは、すでに知っていることであった。
それからは、遅まきながらこの法の修行を開始。
とくに施主、ご同行各位のため毎日拝んでいる。
金山穆韶前官の墓碑