大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

懺悔 供養 祝福 報恩 敬愛 (c)善龍庵 大森義成 禁無断転載

恐れから畏(おそ)れへ

神仏に恐れを感じることがある。

それは大事である。

なぜか。

自分を慎むようになるからだ。

悪事を抑制する作用がある。

 

ただし、注意が必要。

それは神仏を自分を罰する存在に仕立てないこと。

神仏の罰ということにして、じつは自分が自分を罰しているのだ。

自分の不安なこころや罪悪感を神仏に映しているだけ。

 

正しい信仰では神仏は、まれに注意喚起はするが罰しはしない。

そっちに行くとあぶないぞ!とつよく示している。

(ちなみに障りは自分の煩悩が生み出す。そのときは懺悔滅罪が大事)

 

もし、神仏を罰する存在に仕立てているなら、そこに気づくだけでよい。

次第に神仏との垣根が取れてくる。

何がおきても神仏の慈悲に照らされているのだと感じる。

すると自分もそれに倣い、慈悲を実践するようになる。

 

慈悲が強くなると、恐れから畏(おそ)れへ変わっていく。

畏敬の念が生まる。

 


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高野山 奥之院にて