大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

懺悔 供養 祝福 報恩 敬愛 (c)善龍庵 大森義成 禁無断転載

利益の遅速と気づきと

ご利益は自分が願った通りになることだけがご利益ではない。

 

神仏は最終的にその人が、その人なりに良くなるように導くためにご利益を授ける。

それは慈悲によりご利益を授けるからだ。

だから、いろいろ山ほどお願いしても、どうなるかは神仏の御心次第である。

ここが合点いかないとバランスの取れた信仰の道からは脱線する。

 

ご利益が早く表れるときもあれば、ものすごく時間をかけて結果的に円満になる場合もある。大事なのはあせらないことである。ときには心が揺れることも。そこは信仰が試される。

 

私の経験では、一見ご利益と思われることが早く表れても、のちのち幸せや安らぎにつながらないことが多々ある。

 

そして、神仏を信仰しているのに、なかなかご利益がないという方は、ご利益に気づいてないことがある。ほんの些細な事やなにもないのが、実はご利益ということも。

そこに気づくと、そのご利益が広がっていくから不思議。

 

私は毎朝聖天様お稲荷様に「今日も無事に勤行できます。有難うございます。シリソワカ」と念じて拝んでいる。これが一番のご利益だからだ。なぜなら、すべてが整ってこそ無事に勤行できるからである。

 

一度願えばあとはお任せし、日々滅罪を心がけ、報恩と感謝と祝福を忘れず、功徳を積むことが信仰者の望ましいあり方だと思う。するとその人の器に応じてのご利益が必ず現れる。

 


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