「心を穏やかにする」とは言うものの、「心を穏やかにしなければならない」
わけではありません。
怒っている時、悲しんでいる時、落ち込んでいる時。嫌悪感、罪悪感を抱いている時などなど
そういう時に「心を穏やかに」と言ってもかなり難しいと思います。
まずその感情に気がつくことです。
私は怒りを感じているのだ
私は悲しみを感じているのだ
私は今落ち込んでいるのだ
私は嫌悪感、罪悪感を抱いているのだ
そして、それはそう感じざるを得ない状況があるからです。
自然に沸き起こる感情なのです。
その気持ちを一番理解しているのは、ほかならぬ自分自身です。
だから、自分で自分を認めます。
当然、認めたくないときもあります。
そのときは
「いまは認めたくない自分がいてもいいよ シリソワカ」
くらいでいいのです。
それをそのまま、信じる神仏に御供えしてお任せします。
ちょっとその御前に差し出すぐらいで大丈夫です。(もちろん遠慮なく全部でもかまいません)
真言密教では私たちの煩悩はすべてお供え物なのです。
(なぜなら、それは菩提の華を咲かす栄養だからです)
神仏はそんなあなたを慈悲のまなざしで見つめてくれます。
なぜなら、それが神仏のお働きだからです。
注意すべきは、神仏を自分を罰する存在に仕立てないことです。
神仏は導くため、気づきを与える注意はします。
あくまで自分を罰していたのは、神仏ではなく自分自身だったのです。
その心の影を、神仏に投影していただけだったのです。