大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

懺悔 供養 祝福 報恩 敬愛 (c)善龍庵 大森義成 禁無断転載

「心を穏やかにする」とは言うものの

「心を穏やかにする」とは言うものの、「心を穏やかにしなければならない」

わけではありません。

 

怒っている時、悲しんでいる時、落ち込んでいる時。嫌悪感、罪悪感を抱いている時などなど

 

そういう時に「心を穏やかに」と言ってもかなり難しいと思います。

まずその感情に気がつくことです。

 

私は怒りを感じているのだ

私は悲しみを感じているのだ

私は今落ち込んでいるのだ

私は嫌悪感、罪悪感を抱いているのだ

 

そして、それはそう感じざるを得ない状況があるからです。

自然に沸き起こる感情なのです。

その気持ちを一番理解しているのは、ほかならぬ自分自身です。

だから、自分で自分を認めます。

 

当然、認めたくないときもあります。

 

そのときは

「いまは認めたくない自分がいてもいいよ シリソワカ

くらいでいいのです。

 

 

それをそのまま、信じる神仏に御供えしてお任せします。

ちょっとその御前に差し出すぐらいで大丈夫です。(もちろん遠慮なく全部でもかまいません)

真言密教では私たちの煩悩はすべてお供え物なのです。

(なぜなら、それは菩提の華を咲かす栄養だからです)

 

神仏はそんなあなたを慈悲のまなざしで見つめてくれます。

なぜなら、それが神仏のお働きだからです。

注意すべきは、神仏を自分を罰する存在に仕立てないことです。

神仏は導くため、気づきを与える注意はします。

あくまで自分を罰していたのは、神仏ではなく自分自身だったのです。

その心の影を、神仏に投影していただけだったのです。

 

撮影Nさん

 

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