大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

懺悔 供養 祝福 報恩 敬愛 (c)善龍庵 大森義成 禁無断転載

令和5年 盂蘭盆大供養会の感想その4

>生活の中でも自分のブラックな面をまざまざと感じた時、それを否定せずにこれもまた私だと心から思えた時すごく心が軽くなりました。

 

これはとても大事です。今の自分を否定してほかの何者にもなることはできません。

お大師様は「夫(そ)れ、仏法遥(はる)かに非ず、心中(しんじゅう)にして、即ち近し。真如、外に非ず、身を棄てて何にか求めん」と般若心経秘鍵のなかで説かれています。

ブラックな面をただ観察していくと、自然に薄らいでいくことはありますね。

 

 

>ご神仏が一緒にいてくださるという感覚が安心感になりました。

これが信仰の一番の功徳だと私は思います。

 

 

 

善龍庵 大森先生


いつもお世話になります。
この度も盂蘭盆会をありがとうございました。

 

前回の陀羅尼報恩会の時に身体の声を聞くようにと感じたにも関わらず、その後体調を崩してあー、このまま死んでしまうのかもと思いながらもご神仏のご真言を唱えている自分がいました。突然に体調が良くなるとかそういうことはありませんが、ご神仏が一緒にいてくださるという感覚が安心感になりました。

 

その後迎えた盂蘭盆会ではご先祖様に呼ばれたように久しぶりにお墓参りをしたり感謝の気持ちを持って納めることができました。ご神仏、大森先生、ご同行の皆様のお陰です。ありがとうございました。


今回のお参りの中では全て同じであることを強く感じました。生きとし生けるものから全てが同じものであるような曼荼羅の絵の枡が一つ一つ中心へと回っていくようなそんな感覚がありました。

 

生活の中でも自分のブラックな面をまざまざと感じた時、それを否定せずにこれもまた私だと心から思えた時すごく心が軽くなりました。ブラックな自分に笑っている姿はちょっと側から見ると怖いかもですが(笑)

 

不思議なことに、この文章を書いているまさに今、過去の因縁のある人から電話がありました。全くの別件でしたが、臆さずに電話で話すこともできました。そしてこれも私だし、苦手なこの人も大きく捉えれば自分と同じなんだとまた感じることができました。とは言え、苦手は苦手で変わりはないのですが、以前はそのことに罪悪感を持ってしまっていましたがそれを徐々に手放すことができるよになってきたと思います。

 

罪悪感をいつまでも引きずることは心身ともに良くないことだと。知らず知らずのうちに自分で自分を傷つけて、深く埋まってしまった気持ちが体調不良を起こして気づかせてくれたのかもしれません。


苦手は苦手でいい。そこに理由があるのだから。そこに留まらないことが大事。そんなふうに思えました。

 

長くなりました。
この度もありがとうございました。
猛暑と危険な雨が日本の夏となってしまいましたが、どうぞご自愛ください。

この度もありがとうございました。
ご神仏様シリソワカ
大森先生シリソワカ
ご同行の皆様シリソワカ
一切衆生生きとし生けるものシリソワカ

合掌