ご利益があったにもかかわらず、
その後うまくいかないという話をしばしば耳にする。
そういうときに大事なのは、
①焦らないこと
②信仰を捨てないこと
そして、
③安心があるかと顧みること
である。
ここでの安心は神仏にこころをすえている。
そして、神仏に守られている感覚があることをいう。
(注意するのは盲信、狂信ではないこと。とくに因縁、霊障で脅す信仰?は論外。視野のひろい信仰が大事)
その人が神仏に心をすえておかないと、せっかくご利益を授かっても、
ここぞというときに、それを受け取れない。
生かすことができない。
むかし、それなりに信仰熱心に見える人がいて、うまいことに
望んだ通りの利益をさずかった。
そういうときは、謙虚になり、ひたすら神仏に感謝報恩をささげるのがよい。
しかし、その人は逆に神仏から心が離れていった。
ご利益を逃すまいと不安になったからだ。
すると、自分の力でその目的を達成したと慢心し(だいたいそういう人はビッグマウスになっている)勘違いして、
結局身を持ちくづして、多くの恩人に迷惑をかけたまま、夜逃げ同然の末路だった。
そう、安心無きところに慢心あり。
慢心は神仏からはなれ、魔に通じる。
安心あって初めてご利益を受け取れるのだ。
いや、安心こそご利益である。
私たちもこれを他山の石として、日々精進である。