日日、金剛経を読誦する場合には、自己の信じる仏前において何の心もなく、第一の法会因由分より第三十二の応化非真分までを通じて読誦するのである。
日日、読誦してゆくうちには、知らず知らず金剛経の本義に通達し、なんとなく愉快と安心とが感得され、形のうえに於いても誠に予想外なる利益を受けるようになる。
(大森補 これは金剛経要品を読誦するのも同じ。まずは経文の意味を考えないで、なんども繰り返し読誦することが基本である。そのうえで解説書を読んでも構わないが、その解説にもとらわれずに、ただ読誦するのである。さきに解説書を読んで頭で理解しようとしないこと)