大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

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信仰と災い その4

大森談、以前ある大徳から金剛経を100日読んだがなんの功徳もなかったという話をうかがった。その大徳は他に信仰するお経があったのにも関わらず、それを置いて、金剛経を読経したからだとのお話だった。

なるほど、それは一面ではそうかもしれない。(実際その大徳は、御自身が信仰するお経では功徳を頂いていた)

しかし、実はその時、何の功徳もない(とその大徳が感じた)のが、じつは金剛経の功徳だったのだということを、私は後から気が付いた。そして、信仰を深めるのにはこのことを心得ることが肝要なのである。

 

これに関しての濱地居士の提唱をご紹介する。(読者の便宜をはかり一部現代文に改めた。文責は大森義成)

 

金剛経要義』(濱地天松居士著)から。

 

私(濱地居士)が、昨年の春ごろ、三浦観樹将軍にあったときに、将軍が

「僕は先年君の所へ金剛経の書写したのを送ったように、大いにこの経文を信じているが、自分も朝鮮事件の際より、獄中においてこの経文を読誦し、以来、今日まで継続しているが、金剛経の中でも特に有難いと思うのは能除業障分である」

と言われた。そこで、私も「将軍は実に良いところへ気がつかれました」と言って別れたことがあった。

 

一体、世間の利欲に目のない人たちは、何か仕事をするとすぐにその仕事に対する割の良い報酬を求めようとする。しかし、この金剛経はそんな薄っぺらな考えの人にはわからない。前にも言った通り無功徳のところには大きな功徳があることを、よくよく了解しなければならない。

 

私(濱地居士)なども、この金剛経を読誦するには、別に功徳を求める心はなく、長い間読誦していたが、病気して一度ほとんど生死の境をさまよったことがあった。

やはり求めてはいない功徳も冥々の中で現れたのだろう。再び娑婆の人になって(濱地居士は意識がなくなっても唇だけが動き金剛経を唱えていた)今もなお朝夕に欠かさずに金剛経の修行をしている。

だから今の世の人たちには、ほんの少しばかりでもよいから、この能除業障分の説く意味がわかれば、現世の中のいよいよ悪化していく傾向にある思想の混乱を救うのに、非常に広大な利益があると思う。

 


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金剛経鉄眼版 善龍庵蔵

 

一切有為(いっさいうい)の法(ほう)は

夢幻泡影(むげんほうよう)の如く

露(ろ)の如く 亦(ま)た電(でん)の如し

応(まさ)に如是(にょぜ)の観を作(な)すべし

 

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