濱地天松居士
今日は巳の日 御同行のNさんが不忍池辯才天に参拝された写真をおくってくださいました。 以前にもご紹介した濱地天松居士は不忍池辯才天さまを熱心に信仰されていたので、その逸話を一部再度ご紹介します。 【現在の銀座一丁目の一角に天松先生の法律事務所…
濱地天松居士が建立した無我相山黙仙寺参拝 金剛尊天石碑 濱地居士在世の時も崖崩れがあった。 崖崩れ防止の工事中。 石段も斜めに傾いている 本堂が見えてきた。普段はシャッターが閉まってる。 墓地の入り口 大船観音を完成させた高階瓏仙禅師のお墓 初代…
第四 慈悲 神仏は、人々への慈しみや思いやりをきっかけとして現れるものです。だから、神仏と一体になりたいと願うなら、自分自身も慈悲を本質とするべきです。そのためには、私たちの感覚や心(目・耳・鼻・舌・体・意識)にとらわれず、それを離れる必要…
濱地天松居士の『観音経要義』から 「一心に称名」とは二念なくして、観世音菩薩の御名(みな)を唱えることなり。 金剛経に「まさにかくの如く清浄の心を生ずべし、色(しき)に住して心を生ずべからず、声香味触法に住して、心を生ずべからず、応(まさ)…
第三清浄 神仏と一体感をもちたいと思うならば、心も身体も清らかであることが必要です。 心と身体を清らかに保ちたいのであれば、目や耳、鼻、舌、体、心で余計なことに執着しないようにすることです。 これらの感覚や心は、自分自身への執着の根源であり、…
第二 感応 神仏や人々、そしてすべての生き物は、「空」という本質によってもともと一体である。しかし、自分に執着し、「自分」という考えに囚われることで、互いに距離を感じてしまうだけのこと。だからこそ、心と体を純粋で清らかに保ち、仏法に従って神…
大森義成先生 こんばんは。 いつもご指導いただきありがとうございます。京都市の〇〇です。 この度の「星に祈る会」への参加を希望いたしますので、要項の送付をお願いいたします。 (中略) よろしくお願いいたします。 私事ですが、近況をご報告させてい…
濵地天松居士の仏教信仰篇を現代的に要約してご紹介する。(文責 大森) 第一 神仏について 全ての事象(諸法)は本来「空」(固定された実体がない)であるが、現象としては相互に影響し合い、万物が動き続ける。その結果、自己(我)があれば他者(人)があ…
今日は金剛経会中なので、過去記事である「信仰と災い」の要点をまとめました。 『金剛経』を受持し読誦することで得られる功徳と、心得について述べています。 金剛経の功徳と業障の消滅『金剛経』を読むことで過去世の罪業が消滅し、最終的には仏の悟り(…
帰依三宝 金剛経会開白しました。 南無金剛会上仏菩薩 合掌 「経を読め 朝夕必ず経を読め 我が行く道は 常に開けん」 天松居士 善龍庵蔵の金剛経より
仏法 「仏法は 我に迷える こころをば 照らす仏の 光なりけり」 金剛経に 「もし菩薩に我相、人相、衆生相、寿者相あれば、すなわち菩薩に非ず」 「もし心に相を取れば、すなわち我と人と衆生と寿者とに著す。もし法相を取るも、すなわち我と人と衆生と寿者…
大森義成先生 シリソワカ お世話になっております。◎◎です。 早々と滅罪会の要項をお送りいただき、ありがとうございます。申し込みのために、以下お伝えいたします。 (中略) 昨日は久しぶりに大船観音のウルトラの母に会いに行ってまいりました。ここ最近…
大森義成先生 シリソワカ 先月より施餓鬼供養や星に祈る会でお世話になっております◎◎です。 お礼が遅くなりましたが、施餓鬼供養、星に祈る会ともに修法いただきありがとうございました。引き続き自分で供養と祈願を続けております。金剛経も毎日お唱えして…
無我相山黙仙寺参拝 土砂崩れを止める工事をしている。 金剛尊天石碑 無我相の石碑 濱地天松居士筆 この下には数多くの方が書写した。無我相の文字が納められている。 辯天窟 濱地家の地蔵尊 ひっそりとお祀りされている さらに石段を登っていく 台湾リスが…
篤敬三宝 金剛経会開白しました。 悟りとて 心もなく 身もなく 法もなし 金剛読誦 それが正覚(しょうがく) 金剛経 静かに読めば 自ずから 我と如来と 一つなりけり 坐禅して 不思量なれば 自ずから 我と如来と 一つなりけり 筑前の雷山 撮影Kさん 濱地天松…
濱地天松居士のお墓参り 大船の無我相山黙仙寺に参拝 がけ崩れの対策工事中 辯天窟 無我相の石碑 濱地天松居士筆 本堂前で舎利礼文読誦 濱地天松居士の墓前で施餓鬼供養と金剛経要品を三回読誦して報恩謝徳の御回向 濱地天松居士のおかげで、金剛経と御縁を…
金剛経には真髄はない。否、すべて真髄である。 居士は五十年来「無我相(むがそう)」の三字を真髄とし、これを仏として唱念し、かつこれを信心の対としている。 いまより二十六~七年以前。この無我相の三字を八万四千人の自筆にて募集し、これを基本とし…
金剛経は無辺の理を説き 観音経は無辺の行を説く 最勝王経は二者細説す 専心に読誦すればその要を得ん
諸相は相にあらず 法も非法もみな取るべからず 我相は本来 無我相 一心称名即解脱 天松居士によれば「即」の字は、経典を読む上で最重要であり、一心に称名(たとえば無我相や南無観世音菩薩や南無大師遍照金剛と唱える)することそのものが解脱であるという…
昔より 踏み開きたる 人の道 踏むこそこころ やすかりにけり 朝早く 日の暮るるまで 働きて 常にかわらぬ 人ぞ尊し 天松居士牙塔
かくなりし 後の我が身を 思え見よ 元より我は 無我の相なり 我は只(ただ) 大悲菩薩に 任せてん 死ぬも生きるも 善きも悪しきも
無我と吸い 相と吐き出す 丹田の 呼吸静かに 無我の我となれ 我がものと 思えど無常の 風ふけば 花よりもろき この身なりけり
何事も 己が心の 幻と 知るも知らぬも 如来常住(にょらいじょうじゅう) 思わじと 思う心ぞ 迷えなれ ただ無我相に なりきるぞよし 一念に ただ無我相に なりぬれば アア なるほどの 時節到来
底の無き 桶の月影 求むるな 頭をあげて 大空を見よ 仏(ぶつ)ぼさつ 夢幻泡影(むげんほうよう) 元一つ 無為法而(むいほうに)も 差別(しゃべつ)あるかな 金剛の 経より生まれ 経を読み また往(い)く先は 金剛の郷(さと) 金剛心歌 完 大森補 「底…
妄想 分別さらりと すてて 生まれぬ前の 性(しょう)に徹せよ 白露の 己(おの)が姿を そのままに 紅葉に置けば 紅の玉(古歌) 垢を去り 湯より上がりて 着物着て 元のすがたに なりにけるかな 無我相
雨あられ 雪や氷と 変われども 解(と)ければ同じ 谷川の水 (古歌) 雨あられ 雪や氷を そのままに とけねど同じ 谷川の水 (古歌) 無明より あらわれ出(い)でし 姿にて 明るくなれば 何物もなし 無我相
何時(いつ)見ても 広大無辺の 大空よ 只(ただ)そのままの 如来なりける ただうまれ ただ死んでいく 人の身は ただよりただの 夢の旅かな 無我相
断滅の 相にあらざる 大如来 思量の外なる ものとこそ知れ 断滅も 不断滅も 我念かな 無念になれば 何物もなし 世の塵を さけて大井の 関ケ原 春を迎えて 日当たりはよし 世を捨てし 身にも仏の 恵みにて 不足言わねば 用は足りぬる 無我相
陀羅尼吉祥会が結願したので、濱地天松居士の墓参に。 この赤丸の下あたり濱地天松居士のお墓があります。 濱地天松居士のお墓 墓前で報恩謝徳に金剛経を一巻読誦 日置黙仙禅師のお墓 大船観音を完成させた高階瓏仙禅師のお墓
物尽きて 用は無くなり 人は来ず 思うほどにぞ 経を読みける 棒喝も 口問答も 我相では 無門の関は 通れざりけり 相非相(そうひそう) 二つにあらず 元一つ 木仏金仏(きぶつかなぶつ) 皆如来かな