大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

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わが身は汚泥の如し

金剛経法華経を翻訳した鳩摩羅什(くまらじゅう)は、権力者のせいで、図らずも戒を破りと持つことができなかった。

 

しかし、常に

「わが身は汚泥の如し、法は蓮華の如し、汚泥の穢れをもって、蓮華を捨てることなかれ」

と説いたと伝えられている。

 

私たちには、さまざまな要因(不可抗力によることも)で、罪悪感が生まれることがあり、それがもとで自分自身が汚いと感じることがある(実は本来は空なので、そう思っているだけなのだが)

だからといって、仏法を捨ててはならない。

汚いと感じているその身、そのままを仏さまにお任せする。預ける。

 

仏法の偉大なるのは、その汚泥を養分として、清浄なる華を咲かすからである。

 

撮影Nさん