お稲荷さんはよく見てるなーと思うことが多々ある。
稲荷山にお参りしてると様々な気づきがある。
もちろん、お稲荷様からの警告もある。心得違いがあれば注意される。
先に紹介した『運命のルール』には、天地鬼神が常に見ているから、恐れ謹んで自分の悪を改めろということが書かれている。これを改過という。
例えば147ページ【天地在上、鬼神難欺】とあり、
「人を騙すのは簡単かもしれませんが、天地鬼神をだますのは難しいことです。天地鬼神はあるかと聞かれればあると答えます。見えないし、聞こえなくても触ることもできませんが、だからといって存在しない理由にはなりません」
そして善を行っているとその天地鬼神が感応して助けてくれる話が出てくる。
私自身の体験からもその通りだと思う。
これは何もお稲荷様だけではない。たとえばお不動様でも聖天様でも同じ。
私たちが信仰している神仏の御眷属は必ず私たちをよく見ているのである。
些細な善根も、小さな悪行も。
この程度のことで…と思うときは要注意。
善いことも悪いことも塵も積もれば山となる。
もう一つ大事なのは意図である。それが私たちの業に影響するから。
単純に言えば、悪念を以て何かを行うと悪業になる。
悪念が生まれたときは、それに気づいてすぐ懺悔することが、改過につながる。
畏敬と言って、単に恐れるのではなく、敬意を持って、いつも守護神が見ているのだと、自分自身を謹むことを心がけたい。
それが自分自身の運命を開く礎だからだ。