私たちのこころは善悪問わず、焦点をあてた部分が大きくなります。大森
大森先生
いつもお世話になっております。◎◎です。
先日は、滅罪会を厳修いただき、ありがとうございました。
今回3回目の参加ということで、前回にはなかった「父」に関する滅罪観念がありました。
母とは過去にいざこざもあり、滅罪観念には思いあたる節があったのですが、父のこととなると特にピンと来ていませんでした。
(注意書きにあります通り、実の父のみならず、ということは承知しております)
ただ、今回滅罪会を通じて振り返ってみますと、幼少期に母から学業のことで厳しくされていた時に、「父は何もしてくれなかった」という想いがあることに気付きました。
また、これまで生きてくる中で、この「してもらえなかった」という欠乏感が、人から何かをしてもらおうとする依存心や受け身の態度、してもらえないことに対する怒り、不平不満などに繋がっていたのではないかと思い至りました。
ふと思い立ち、自分の中で「ない」に焦点を当てがちなもの、あるのが当たり前になりがちなものに対して、「今ある○○(時間、お金、健康、仕事、ご縁など)に感謝します シリソワカ」と朝夕に唱えています。
しばらく続けていますが、欠乏感や焦りが薄らいできたような気がします。
引き続き、精進して参ります。