豊に実った稲穂も穂だけがあるのではなくして、よく育った茎があって初めて稔る。
茎の中にこそ穂は宿されているのと同じように、私たちの信心の穂も平常の行いの中に宿っている。
何のおしるしもないように見える日々の信心の中に、大切なおかげが貯えられていることを忘れてはならない。
この貯えがあればこそ、サテという時に力強いより所となるのである。
道は平常に至ると申すべきである。
松本実道長老著『佛とともに』より 引用
結果うまく行く人は 上記の理を心得ていますね。辛抱強く功徳を積み続けます。
田んぼを育てるのに似ています。順風満帆なときばかりではありませんね。
土や水、天候のことなど様々なことに対処しながら、秋には豊かな稲が実ります。
信仰の青田刈りすると、大抵は最後はうまくいきません。
それは徳がないからです。
良い種(功徳)を植えて、あせらず時間をかけて育てるのが信仰のこころえです。
近道なし。大森