昨年に引き続き門昌庵に再訪。
今回は本堂の中にあげていただき参拝。



木喰上人や弟子の白道上人も訪れている。
その当時は太田権現の納経所であり、現在でも本尊とは別に太田権現、金毘羅権現、妙見尊をおまつりしている。
二人は北海道には安永7年、1778年にわたって2年ほど北海道に滞在してたようである。
太田権現はいまは太田神社として知られる。
太田神社 <道南五大霊場> | 目的別で選ぶ | せたな観光協会
ちなみに写真にはとってないが、本堂内の金毘羅権現の扁額は、名古屋の曹洞宗、萬松寺の珍牛和尚の筆ではないかと思う。珍牛和尚は豪潮律師と深く親交があった。
こちらには木食白道上人の初期の作例である子安観音がある。
他に歓喜天像が寺宝として安置されている。
親切な和尚様にご案内いただきました🙏
この地域は曹洞宗と真言宗のお寺の和尚様はとても丁寧で親切でした。



小ぶりですが、命がけでここまで渡ってきた白道上人の衆生済度の願いが込められている。
『木食白道一代記』には、北海道で熊に遭遇したが、なんとか仏様のご加護で逃げることができたと書かれている。
門昌庵のいわれ
松前藩主・矩広は幼少で藩主となり、悪臣たちに操られ、政務を怠って女遊びにふけっていた。ある日、家臣の妹で美しいと評判の松枝に心を奪われ寵愛するが、これを妬んだ悪臣たちが、松枝が法話を聞きに通っていた、法幢寺の住職・学徳兼備の高僧、白巌門昌和尚と密通していると讒言する。
矩広は松枝を斬り、門昌和尚を熊石に流罪とした。
その後、矩広が病に倒れたことから門昌和尚の呪いだと噂され、処刑を命じた。門昌和尚は無実のまま処刑される。そのとき和尚は大般若理趣分を逆さ読みし、そばの川が逆流したとされ「逆川」と名付けられる。その経本はいまでも門昌庵にある。
門昌和尚の首は松前へ運ばれる途中、江差町円通寺で火災が起きるが、首は無傷だったため恐れられ、熊石に埋葬された。寺がたてられ「門昌庵」と呼ばれるようになった。

門昌和尚の墓碑
詳しいお話は下記参照
北海道のむかし話 121 (門昌庵物語-八雲町熊石ー) – 北海道ビューポイント