目黒不動に参拝しました。
こちらは、境内にバス停がある。
独古の滝、昔は行者がたくさん来て滝にうたれていた。A宗の管長もよく来て滝行していたそうだ。
『目黒不動尊ご詠歌』 清らけき 目黒の杜の獨鈷瀧 災厄難を除ける不動尊
とても素晴らしい宝篋印塔がある。
まわりを回って拝めるようになっている。
さっそく陀羅尼を唱えて供養する。
初詣は10万人くらいの参拝者が。
階段をあがると山王鳥居
本堂側から見た鳥居
戦災をまぬがれた狛犬
お尻がかわいい。
鳥居から本堂をのぞむ。
ご本尊、秘仏不動明王は二度の火災にも自らお堂を出でて、焼けなかったそうだ。
毎朝と8日18日28日は15:00から護摩修法。
私も護摩に参拜させて頂いた。平日にも関わらず多くの参拝者。
こちらはとてもシンプルな護摩でありがたかった。ひたすら、参拝のご仏縁を頂いたことに感謝。ご縁尊し、ありがたし。清められてスッキリした。
本堂の裏には、巨大な胎蔵大日如来
かなり立派な役の行者像
お地蔵様。真言を唱えて、施餓鬼供養の諸霊に回向。
青木昆陽の墓があるので、境内にさつまいもが植えてあった。なかなかユニークである。
[泰叡山護國院 瀧泉寺(通称:目黒不動尊) | 天台宗東京教区
上記から引用
目黒不動尊は、天台座主第三祖慈覚大師圓仁が開かれた関東最古の不動霊場です。
日本最古の土板(縄文時代)が発掘された境内は、往古より霊域であります。
大同三年、十五歳の慈覚大師は、伝教大師最澄のもとへ赴く途上、当地に立寄られ、霊夢を見ました。
面色青黒く右手に降魔の剣を提げ左手に縛の縄を持つ誠に恐ろしい形相の神人が枕上に現れて『我この地に迹を垂れ魔を伏し国を鎮めんと思ふなり。来つて我を渇仰せん者には諸々の願ひを成就させん。』と告げられました。
夢覚めた後その尊容を自ら彫刻されたのが、御本尊目黒不動明王です。
堂宇建立を決意された大師が、法具の獨鈷を投じると、そこに泉が湧出。「獨鈷の瀧」と名づけられたこの霊泉に因んで、当山を「瀧泉寺」と号されました。
貞観二年には清和天皇より「泰叡」の勅額を賜り、爾来「泰叡山」と称します。
寛永年間には、徳川家光公の帰依を受け、堂塔伽藍が復興されました。
目黒で鷹狩りをした際、愛鷹が行方しれずになり、三代将軍は自ら目黒不動尊御宝前に額づき、祈願。すると忽ち鷹が本堂前の松樹(鷹居の松)に飛び帰りました。
この霊験を目の当りにした家光公は瀧泉寺を篤く尊信することとなり、大願成就の報恩に、諸堂末寺等併せて五十三棟に及ぶ大伽藍を造立します。
歴代の将軍が折々に参詣する宏壮な堂塔は『目黒御殿』と称され、庶民も列を成して詣でる江戸随一の名所となりました。
青史に名をとどめる傑士が多く参堂し、さつまいもの栽培を広めた「甘藷先生」こと蘭学者・青木昆陽
が当山の墓地に眠り、毎年10月28日には先生の遺徳を偲ぶ『甘藷まつり』が開かれます。