大森先生
こんばんは。○○○○○です。
いつもお世話になりありがとうございます。
以前、父の代理供養で父方の先祖代々の施餓鬼をお願いいたしました。
父は5歳で孤児になり、肉親の愛を知らずに育ち、先祖供養を一度もしていなかったのです。
父の代理供養をしている間は、毎日疲れが酷くてなかなか自宅供養ができませんでした。
誰かを背負って長い坂道を駆け登っているかのような疲労感でしたが頑張りました。
5日目に真言を唱えている時、母が苦しんでいる姿が見えました。
それは晩年の母ではなく、少女時代の母が、自分の母親の遺体を一人で泣きながら湯灌している後ろ姿でした。
情緒不安定な母でしたが、私はその画像が頭に見えた時に、この時に母の心は壊れてしまったのだと感じました。
そして死ぬまで壊れたままで、今もまだそのまま罪悪感のなかにいるのだと感じて辛くなりました。
それですぐに母の施餓鬼をお願いいたしました。
昔、母から聞いたのですが、修学旅行に行っている最中に母親が急死して、家に呼び戻されたそうです。
私の母は、高校の修学旅行に行くことを父親から金の無駄だと反対されたそうです。
昔のことです。女の子は結婚したら自由はないのだからと母親が父親に頼み込んで修学旅行に出してくれました。
しかし自分が家を離れている間に母親が脳出血で死んでしまったのです。
通夜にいらした母の友人から、そのことは母の人生にずっと暗い影をさしていたと聞きました。
どれほど辛かったことでしょう。想像もつきません。
当時の習慣で、家でただ一人の女性だった母が一人で湯灌をしたのだと、叔父から火葬場で聞かされました。
本当に酷いことだと思いました。
今回は代理供養の時に感じたような疲労感はなく、毎日当たり前に真言を唱えておりました。
母に対して、誰にも罪悪感を持たなくて良いんだよ、心穏やかに安心していてね、という気持ちでおりました。
真言を唱えながら、私も誰にも罪悪感を持たなくていいし、誰かに罪悪感をもたさせようとしてはいけない、と感じていました。
三日目くらいから母も一緒に手を合わせて真言を唱えているイメージが見えるようになりました。
母は小さな女の子の姿になっていました。
神も仏も信じないという母でしたが、おかあさんも私と一緒に修行を始めたのかなと感じました。
今まで修行したり供養したりするとき、私はいつも号泣しておりましたが、今回はそのようなこともなく、穏やかに淡々と過ごしておりました。
自然に明るい気持ちで過ごせることが、一番ありがたいことなのではないかと感じました。
施餓鬼が結願して、土曜日曜は特別なことは何もありませんでした。
月曜日になって、仏壇に手を合わせいつものように光明真言を唱えていると、胸の真ん中がぽかぽかと暖かく感じました。
そして、イメージではなく、「おかあさんも御先祖様もここに一緒にいる」と感じました。
心の中にいるのではなく、みんな私とともに今ここに生きている、という実感でした。
そして私はこの暖かさに支えられて生きているのだと思いました。
春季彼岸会もどうかよろしくお願い申し上げます。
三寒四温と申しますが、気温も不安定な今日この頃です。
どうかお健やかにお過ごしくださいませ。
◎お知らせ
3月の春季彼岸会は17日から19日までの三日間宝篋印陀羅尼法を修行してご供養します。
締め切りは明日3月3日水曜日です。
詳しくは下記リンクをご参照ください。
令和3年春季彼岸会のお知らせ - 大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵
東寺御影堂遠景