拝んだつもりが拝まれている。
一方通行ではなく、
ともに拝み合う世界。
これが供養です。
ここから頂いたメール
大森先生
日頃のご指導ありがとうございます。
これまでに少しづつでしたが、私の両親を含め過去14霊の施餓鬼供養によるご回向を無事修行させて頂きました。重ねて先生にお礼申し上げます。
先日、いつも冷静な家内が、結局自分のために拝んでいるんじゃないの?とふと言いました。失礼な!と思いながらも、その言葉を否定できない、私の気づきを恥ずかしながらご報告させて頂きます。
これは私の印象ですが、私のご先祖は信心深い方が多かったせいか、お勤めが終わりますと、私に功徳を逆に回向されているような気がしました。
そのため、心配性の私はお次第の後、もう一度、一方づつ法名を唱えて光明真言をお唱えしていました。この時、この真言の光明のお力でご先祖を照らしているような、勝手なイメージを持っておりましたが、これは大変な誤りだったと最近気づきました。
ご先祖と一緒に唱えさせていただいている、共に仏様の光明の内にある、そう思うべきだと。
長文で申し訳ございませんでした。
気温の変動が大きいこの頃ですが、先生にはどうぞご自愛くださいますようお祈り申し上げます。
合掌