守護霊の施餓鬼供養をされたかたから感想をいただきました。
家系に抑圧されたさまざまな思いは次世代に相続されることがあります。
自分のものではない、何か妙な違和感などです。
それは「鵜呑み」という形で、無意識的に親から孫や子へと受け継がれます。
供養を通じてそこに意識をむけ、光をあてて、解放していくことができます。
それが、善龍庵の施餓鬼供養の他所には無い特徴です。
ここからいただいたメール(ご本人の許可をいただいて掲載します)
大森先生
この度、7座の守護霊の施餓鬼供養を厳修下さいまして誠にありがとうございました。
自分の守護霊の供養とは、どんなものなのか初体験でしたが、ゆっくり自分自身と向き合え色々なしがらみから解放され自分の本当の気持ちを受けとれた感覚がありました。
また難しく考えすぎ自分で自分を縛っていたなとも感じました。
縛っていたという意味では、過去三代の供養をしている時に、母方の祖母が自分の両親に対して「貧乏なのに子供ばかり産みバカな親である」と。
自分は、その子供をおぶって勉強したりそんな生活から抜け出すために資格をとり仕事をして結婚した。
結婚したは良いが、女性とお金で苦労してせっかく就いた良い仕事をやめなければ良かったという画像が出てきた。
そういえば幼い頃から自分に一生自分で生きていける仕事をもたないといけない。
男性に頼らない経済力をもたないといけないとよく話していたのを思い出しました。
きずかないうちに自分の生き方として自分を縛っていたなとふと気ずきました。
供養するという事は、家系の連鎖する考え方、想い、生き方から自由になるという事も入るのかなと今回施餓鬼供養をして感じました。
貴重なおかげを頂きました。
御礼申し上げます。
三宝荒神図部分(善龍庵蔵)