大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

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仏と神と諸霊が集う修二会

東大寺二月堂のお水取り(修二会)の練行衆として出仕されていた法友から、二月堂牛玉(ごおう)とお壇供を頂戴した。


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ブログをご覧の皆様にもその功徳が行き渡りますように。

 

修二会の御本尊は2体あり大観音(おおかんのん)と小観音(こがんのん)と言われている。

 

 

修二会の行事については下記サイトをご参照ください。

 

www.todaiji.or.jp

興味深いのは、

修二会を行うとき、毎座神明帳に基づき数多くの神様の名前を読み上げ、道場に勧請する。法友に伺ったところ、2週間の別火で練行衆が過ごす場所を手向山八幡の宮司が修祓されるとのこと。また、本行のときに密教の作法担当の呪師が修祓する作法があるとのことだった。そして勧請した神々に祈るわけではなく、ただ修二会の法味をうけているようだ。

詳細は下記サイト参照。

www.chugainippoh.co.jp

 

その神々が集う道場で修二会中に大導師作法や過去帳を読み上げで、東大寺有縁の故人などを回向する。

過去帳では「青衣の女人」の逸話がある。

鎌倉時代、修二会で集慶(じゅうけい) という僧侶が過去帳を読み上げていると、その前に青い衣の女性が現れ、「何故わたしを読み落としたのか」と恨めしげにいった。 集慶がとっさに低い声で「青衣(しょうえ)の女人」と読み上げた。すると幻のように消えたという。いわば対象化することで浮かばれたのである。

 

www.todaiji.or.jp

 

昔のお宅には先祖を祀る仏壇と氏神を祀る神棚が共存していた。(一部の宗派では別)日本は明治まで1000年以上神仏習合であり、神社の隣には寺院があった。仏壇は寺のミニチュアであり、神棚は神社のミニチュアである。だから神仏習合の形を残していたのだ。

 

たまに一緒にしてはいけないという話を聞くが、私は日本的な祖霊観から同じ部屋で祀るのは構わないと思う。なぜなら氏神はもともと古い祖霊であるから。

(ただし新仏は中陰壇で別に祀る、まだ安定していないからすぐには仏壇に入らないである。東大寺のお水取りでも練行衆として参篭した者が亡くなった場合は1年後に過去帳に記入されるという)

仏教民俗学の大家、故五来重先生の著作によれば、三十三回忌で故人は個性が希薄になり先祖となる。先祖とは神であると。

イメージとしては、仏壇でご供養を受けて先祖になって行く。そして、その古いものが神棚にまつられているというところであろうか。

神仏習合時代は僧侶が神前で読経していた。まさに先祖供養である。