前回のお施餓鬼供養からの感想です。
先生、私は前回のお施餓鬼供養が終わって、先生がブログで取り上げられていた袁了凡の本を読みました。それで、准胝仏母様の陀羅尼を沢山唱えた、とありましたので、私も真言をとにかく唱えまくろうと決めました。
そこで、移動中も料理中も掃除中も、とにかく一人でいる時はひたすら唱えまくりました。大学受験の英語の暗唱していた時よりひたすら唱えまくりました。
すると、いつの頃からか忘れましたが、私は私の過去の行いの傲慢さや未熟さを自分で叱るようになりました。
それは自己否定ではなく、己の愚かさを恥じてのものです。
また、神仏にも詫びました。「今まで困った時だけ都合良く助けてほしいと祈り、過去の自分の行いを懺悔することなく、先にそちらを神様仏様の前で言うべきでした。至らぬ私で申し訳ないです」といったことです。
すると、私は自分の心が実に風通しの良い心になったことに気付きました。そうです、私は長年この心になりたくてもがいていました。
私の心には積年の恨みがありました。どうやってもこの恨みが心に張り付いてとれませんでした。ですが、自分も過去に悪行してきたくせに自分だけが犠牲者の様に自分で自分を可哀想ぶるな、と思い至り、心に張り付いていた恨み等 は本当に綺麗になりました。
私はこのようにしていただけたことが、何より嬉しいです。また、これは神様仏様のおかげでもありますが、大森先生にお施餓供養をしてもらえたからだと思います。
私も一歩間違えれば、餓鬼の世界の仲間入りでした。同時に、あの渇きの苦しみは、二度と味わいたくないものです。供養させて頂くことで、過去の自分もまた供養して頂けていたのだと、気付きました。
先生、誠にありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。
そうそう、これは何やら不思議なのですが、去年の7月頃に遊郭で働いていた女郎の方々の施餓鬼供養をお願いしました。
家の隣には、色町だった頃踊りの舞台屋敷が建っていた土地(今は取り壊され更地になっている)があるのですが、その土地には何故か昔から女郎花が咲き乱れておりました。
ところが、大森先生にお施餓鬼供養を頼んで以来、女郎花が咲かず、
なんと今年の春にはホトケノザが大群となって咲き誇っています。
母は「こんなこと初めてよ。。こんなんホンマにあるんやなぁ」と絶句しています。沢山のホトケノザは美しいです。
大森先生色々ありがとうございます。私を含め、皆喜んでいます!