大森義成先生
お世話になっております。
先日は、怨親一等の意味についてご回答いただき、ありがとうございました。
怨んでいる人も親しい人も等しく一緒に…という意味を知り、穏やかな気持ちになりました。
本日は無事に滅罪会を終えることが出来ましたので、そのご報告をさせてください。
滅罪会のお次第をいただいてからしばらくは、身近なこと・自覚のあることを懺悔していました。
けれど、本番になると「これから幸せになることを懺悔します」「愛されていくことを懺悔します」という言葉が浮かび、陀羅尼を唱えることで背中がフッと軽くなっていき、
(大森注、幸せになることを懺悔するとはどういう意味か、ご本人にお伺いすると「生きていたら、嫌でも色んなものを傷つける・時には、自分で許せないような失敗をしたりもする。それでも幸せに生きようとしてしまうことへの罪悪感…とでも言うのでしょうか。」とのことでした。実はこの感覚を持つかたはしばしばおられます。自分だけ幸せになることへの罪悪感も持つ方もいます。こういう感覚を持つかたは、他者への祝福行をするとよいです)
最後の日には「生きていることで、罪を犯し続けてしまうことを懺悔します」の言葉と同時に、赤ちゃんの映像と、生まれてきたくなかった!!という強い悲しみがブワッと込み上げてきて、それを准胝観音様と宝篋印塔に預けました。
それが今の私のものなのか、過去7世に所縁ある方のものなのかは分かりません。
ただ、宝篋印陀羅尼は言葉のわからない動物にも良いという旨の言葉を、羽田先生のブログで拝読したことを思い出して、言葉のわからない赤ちゃんの頃や、まだ形になっていない頃の記憶(想い?)のようなものに届いたのかなと、今は想像しています。
今の私は生きていて楽しいことがあるため、その悲しみや罪悪感とは間をとるようにお唱えをし、生まれてくることは罪じゃないんだよ・誕生おめでとうシリソワカ、産んでくれてありがとうシリソワカと伝えて終わりました。
このような強い気持ちを一人で受け止めることは難しかった(もしかしたら、一生自覚もできなかったかも)と思うので、大森先生のご指導とご同行の皆様と一緒に懺悔ができて良かったと思っています。
まだ余韻冷めやらぬ中ですが、改めて、この度は滅罪会に参加をさせていただき誠にありがとうございました。また機会がありましたら、その時はどうぞよろしくお願いいたします。
大森先生シリソワカ
ご同行の皆様シリソワカ
准胝観音様シリソワカ
宝篋印塔並びに釈迦牟尼仏シリソワカ
※他者への祝福行
今までお世話になったかた、自分のご縁のある方々をできるだけ多く思いだしてノートにしるす。
(あったことがなくても、この人の幸せを祈りたいという人がいれば、それも加える)
ノートを見ながらひとりにつき3回くらい。
「〇〇さんが幸せでありますようにシリソワカ」
と祝福行をやってみてください。
一番最後に自分自身の名前にシリソワカ三回で終わります。
これは日々継続するといいです。
ノートに書く人はあとから追加しても大丈夫です。
いつでもできます。
撮影Tさん