怒りは必要な感情です。
ただし怒りに任せて我を忘れると自他を傷つけます。
怒りを抑えるのではなく、今自分は怒りを感じているんだと事実を認めることです。
さらに理由があれば、これは怒りを感じても仕方がないなと自覚するのも良いでしょう。
ここからいただいたメール
大森先生
おはようございます。連日の猛暑が続きますがお元気でお過ごしでしょうか。
この度13日からの施餓鬼供養厳修下さいまして誠にありがとうございます。
いつも言える事ですが、ご供養している時にも色々体感することも多々あるのですがご供養が終わってからふとこの事は、こういう事だったのかというふうに色々気づきを得たり出来事があったりと全体像のようなものを知る事がありいつも大森先生のご供養は、凄いなと感動しています。
今回の施餓鬼の供養期間、いつになく自分の中で抑えきれない怒り、怒りの理由は、あるのですが自分でも、こんなに怒っているのは、どうにかしているなと思う程でした。
自分を祝福するシリソワカを自分行に併用して、お唱えしていくとかなり落ち着いていきました。
最終日、子供から連絡があり、孫が◎◎寺の保育園に週2回通い始めた事と、子供の連れ合いの兄弟と親御さんが性格が似ているという話から、とにかく怒りはじめたら手におえなく困り果てているという話を聞き、今回のとまらない吹きでるような怒りも何かあるのかなと思いました。
暫く祝福行を続けようと思います。
残暑厳しいですがどうぞ御身体ご自愛下さいませ。
心より御礼申し上げます。