大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

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観世音菩薩の修養とその功徳 その2 濱地天松居士

観音様の霊験の実例は古来からたくさんあるが、(濱地)居士もその御救いを受けたことは1回や2回ではない。

 

現に居士は明治41年に(大病で人事不省になるも)起死回生し、また大正7年大風雨のために大船の無我相山の一部が大崩壊したとき、その墜落してきた土砂や大木が居士の別荘を取り包んでも、家屋は少しも損害がなかってのは、村人の驚くところであった。

大正12年の大震災のとき、居士はその前日である8月31日までは無我相山の本堂で毎日正午過ぎまで看経するのを習慣にしていた。しかし、9月1日の大震災当日はたまたま東京に行っていたため、留守中に本堂は崩壊したが居士の身は無事であった。

実に感涙の至りであった。

 

また本堂に安置する釈迦如来、観世音菩薩、金剛尊天、弁財尊天などのお厨子は微塵に砕けていたが、その尊体は不思議になんら異常はなかった。ただただ、ありがた涙にくれる外はなかった。

 

また無我相山に建立する金光明最勝王経一字一石の塔が少しも異常なき有様と、辯天窟が不思議に無事であること、また東京の事務所に祀る観世音菩薩その他の仏体に異常なかったのも実に不可思議というべきである。

 

ゆえに、いたずらに学問的に仏法を知ろうとするのは、あたかも薬の功能書を読んで服薬しないのと同じで、何ら得るところがない。だから一心に南無観世音菩薩と称えて、その功徳により妄想分別を切断して(自分本来の)清浄心に帰り、観世音菩薩と同化することに勤めるべきである。

(部分的に現代文に改めた 文責 大森)

無我相山の参道口の石碑