第六は最上第一希有の法を成就する功徳であって、すなわち無上正等正覚を得る功徳、これを言い換えれば、悟りを開く功徳であります。
この写経の功徳についてこんな話があります。
ある亡者があって、六道の辻に立たせたまえる地蔵尊にむかって地獄への道を尋ねたところ、地蔵尊は
「汝は極楽(に往生する)の功徳あり」
と言われました。
すると亡者は
「私は娑婆において、仏をも信心せず。またお経も読まず。ただ自分の利益のみを営んできたので、少しの善行もしていませんから、極楽へ行く縁がないのは明らかです」
と申しました。
地蔵尊は
「汝は娑婆において写経する人の硯の水を汲んだことがある。汝の記憶には忘れているけれども、その善行は仏菩薩がよく知っておられるから」
と言われ、
その亡者は悪道(地獄、餓鬼、畜生)に堕ちることを免れたということであります。
ただ単に硯の水を汲み与えた功徳ですら、このごとく広大なるものでありますから、
まして写経を為すにおいての功徳は実に広大無量であります。
つづく
(少し文体を現代文にあらためた 文責 大森)
ちなみにこの写真の金剛経にある『最上乗を発するもの』の最上乗は密教であると弘法大師は説いている。