私がこれまでの人生で出会い、お世話になった三人の僧侶からさずかった教えは、私の信仰と修道を支える三つの大きな柱になってます。
第一の柱は、中学時代によくお参りに通った、弘法大師をご本尊とするお寺の住職からの教えです。それは「祈願のとき、自分の修行の力でお願い事を叶えるのではなく、お大師さまにただお任せするのである」というものです。
正直始めはピンと来ませんでした。後に私自身が、人様のご祈願やご供養に長く携わっているうちに、これはものすごく大事なことだと実感しました。
そして、「お任せする」ことで、執着が手放せ、心の安らぎを得られるのだと学びました。
自分の行力のみで何か難問を解決しようとすると苦しくなりますが、すべてを仏様に委ねることで、心が軽くなり、実際に大きなご利益を授かります。自我を捨てたところに仏の力が働くのだと実感しました。
第二の柱は、私が僧侶として修行をする際に、伝授阿闍梨からいただいた教えです。「極意というのは授かって見れば既に知っていることである」です。
この言葉をいただいたとき、深い衝撃を受けました。
極意を求めてやまないというのは、実は自分の本来持っている大事なものに気づいていないということなのかもしれません。
修行を通じて、自分の中に既に備わっているものに気づき、それを磨き上げることこそが大切なのだと理解しました。
第三の柱は、恩師の教えです。
それは、「世の中のあらゆる事象を仏教の視点から見て理解する」ということです。
世間的な解釈にとどまると、結局は問題にとらわれ続けてしまいます。しかし、仏教の視点で物事を見ることで、視野が広がり、新たな解決の糸口が見えてきます。この教えにより、私はあらゆる出来事に対して、執着することなく本質を見極める大切さを学びました。
それぞれの教えは、異なる視点から私に智慧を授けてくれましたが、共通しているのは「とらわれを手放し、仏さまに委ねることの大切さ」です。
これからも、この教えを胸に刻みながら、御同行とともに、日々の修行と信仰を深めていきたいと思います。🙏