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施餓鬼供養(せがきくよう)の功徳 その3

恩師の某大僧正からは、さまざまなお話を賜った。

 

また、文章の書き方の肝を教えて頂いた。「大森くんは教え子のなかで、私の話を一番よく聞いてくれる」と言われたこともあった。

 

ご恩返しが出来ないうちに遷化されたので、申し訳ないと思っている。しかし、こうして恩師のことを書くのも、幾ばくかの報恩になるかもしれない。私たちは、さまざまなご恩をうけて生きている。少しでもそれに報いることが仏道に叶う。もちろん難しいが。

恩師は、霊能力者であった御尊父から、そのときは何となしに聞いていたお話が、必要なときに深い意識から浮上してくると言っていた。そのために、先祖供養をしていることが、その意識とのアクセスをよくするとのことだった。

 

たしかに、現在、恩師を念じて施餓鬼供養を修しているが、よく恩師の教えを思いだす。

 

 

恩師の話は、通りいっぺんの教義とちがい、深い思索と実践に裏付けられていた。

 

なかでも施餓鬼にはなぜ功徳があるのか?その意義について奥深い。

 

私たちが施餓鬼をおこない、功徳を積んで罪業を消し、何らかの利益を授かる。そのためには、餓鬼がいないと施餓鬼ができない。

 

餓鬼に生まれるのは、生前に貪り深く、人に邪見にするなど、煩悩盛んにして悪業をつんだ結果である。そして餓鬼道ではてしない飢渇に苦しむのだ。

 

つまり、餓鬼たちの煩悩、悪業のおかげで、私たちが救われるということになる。いいかえれば、餓鬼たちは私たちの苦しみを代わりに受けている代受苦菩薩なのだと。

 

この話を伺ったとき、たいへん感銘を覚えた。

 

ここに、密教の説く「煩悩即菩提」の深義が示されている。また、施餓鬼供養の広大な功徳で、餓鬼も私たちもともに救われのだ。

 

それが、施餓鬼供養が大日如来の自然の所作だといわれ、本来、密教修行者は毎日修法する由縁である。

 

続く


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