泉庄太郎師(泉聖天尊)が、生駒山での600日の日参を聖天尊のお告げで終えて、讃岐の津田にもどったときの話。
泉師の子どもが学校で文房具が必要になった。しかし、貧乏なのでお金の工面がつかない。泉師はもとは漁師なので、浜にあがっている小さな船に入り悩んでいた。
すると外から「おい、おい」と声がする。何べんも呼ぶので外にでると不動明王がたっている「ワシじゃ金時不動じゃ」八栗寺の背後にそびえる五剣山のなかに祀られている金時不動があらわれた。
そして
「おまえ、金が無くて心配しよるふうじゃけん。明日もってきてやるけんな。もう帰って寝な」とおっしゃるので、帰って休まれた。
すると翌朝、「兄やんよ、兄やんよ」と玄関の戸を誰かが叩く。「兄やんよ、起きてくれんかい」「よっしゃ」と言って外にでてみると、若者が荒縄でがんじがらめにくくられて、担がれてきた。
担いできた男が「あにやんよ。うちのが荒れて荒れて、やかましくてしょうがないけん、連れてきた」「兄やんのところに連れていけ!というのでつれてきた。頼むわ」と。
それを聞いた泉師は「そうか、ほなけれど、わし拝むん(義成註、拝みかたのこと)知らんのじゃ」
「ほなって、若いし(若者)があない言うのに、助けてやってくれ」
「そうかいな」それで泉師は、その若者を自分の家の座敷に縄でくくったまま担ぎ上げさせて、その横で唯一知ってる聖天さまの御真言「おん きりく ぎゃく うん そわか」を何十遍かとなえた。
すると、若者が
「といてくれ」というので、縄をほどいてやると「これまあ、不思議なことじゃ、わし治ったわ、いっしょにいなんか(帰ろう)、兄やん有り難うよ」と、それっきり治ってしまった。そこで、若者をつれてきた人が五十銭お供えして、礼を言って帰っていった。
これで文房具がかえるぞと、泉師は思っていたら、また別の若者がキャラ、キャラ笑い続けてしょうがなくて困ってるものが、連れられてきた。これまた「おん きりく ぎゃく うん そわか」と拝んでやると、また治ってしまった。
これが泉師の人助けの始まりだった。これから、よく法のきく行者さんとして次第次第にしられていくのである。