お父様の介護をされているNさんが、とてもたいへんな中で、施餓鬼供養をおこない、そこで気づかれたことを教えて頂きましたので、ご紹介します。
人は生きていく上で、順縁、順境ばかりではありません。逆縁、逆境も多々あります。信仰を通して、順逆ともに「仏縁」として受け取れるとき、はじめて私たちは安心立命するのではないかと思います。
「おはようございます。
今朝、神棚の鏡の曇りをきれいにしようと
ふと思い当たり神棚上の横に置いていた白い封書に目が行きました。
そういえば、主人の母が亡くなって、
菩提寺の僧侶にもらったから粗末にはできないから神棚にでものせておいてと言われて
中身も確認せずにいました。
いつもなら、そのままなんだと思いますが
今日は、その中身を確認してみる気になり開けてみると
高野山の家内安全のお札とお大師さんと光明真言が書かれた絵札でした。
偶然なのか必然なのか?
必然なのでしょうね。
昨日、光明真言の画像を携帯にダウンロードしたばかり
いろいろあることを手助けしてくださっているのだなと思うばかりです。
実は、こまった父ですが、
札所巡りはほぼしているのです。
四国も小豆島もその西国も結願し数珠まで持っています。
これが功をなしたのかもしれません。
導きとはすごいものです。
そして、施餓鬼供養を始めた私にお札の存在を教えてくださったのでしょう。
社の左側が空いていたのでそちらに納めさせていただきました。
父も最後を迎えようとしている今
娘に見てもらえていること自体すごいことですし
これも施餓鬼供養のお蔭様なのだと思いました。」
このNさんからのメールを頂いたとき、ちょうど善龍庵に、あらたに勧請した光明真言の掛け軸が到着しました。不思議なご縁だと思います。