人間迷うのは当たり前です。だからこそ神仏に心をひらき、自分に素直になる。ありのままにお任せする。これが自分への祝福なのです。
焦らずに地道に修養を続けると菩提の華が咲きます。そして実を結ぶのです。シリソワカ
ここからいただいた感想
大森義成先生
こんにちは。
いつも御祈念、法話をありがとうございます
大森義成先生修するお施餓鬼供養、自宅追善供養法お次第を賜りましてありがとうございました。
確認いたしました。
自宅追善供養法をさせていただけた当初は、嬉しさや年月がかかり過ぎてしまった申しわけなさ、悲しみ淋しさと様々な気持ちが入り交じっておりましたが、現在は嬉しさだけになりました。供養が嬉しさだけになるってどうなんだろう?···駄目なのかしら?···でも嬉しさだけだなぁ···の気持ちでおります。
御神仏様に混乱を預かっていただけた感謝の思いも大切にしています。
7月に祖母へのお施餓鬼供養を大森義成先生にお願いさせていただき、盂蘭盆大供養会の結願を過ぎた辺りから少し全てのお修行をおやすみしました。惰性な気持ちになっているかも。と思えたのです。
それでも氏神神社様、高尾山様への参拝は続けさせていただき···いつの日だったでしょうか。
御神仏様に 何が、どこの気持ちが執着となっているのか私にはどうしてもわからないと云う気持ちを正直にお伝えしました。
羽田先生の2022-06-22
「不幸な過去忘れる供養」も拝読させていただきました。
手放してあげたい。手放さないと。もう何度も手放したはずなのに戻している···
でも·····わからない。
どの気持ちが執着となっているのかがわからないから、どうしても手放しかたがわからない。
大森義成先生に教えていただいた通り、「わからない」気持ちも御神仏様にお預かりいただこう。と、正直に素直に「わからない」をお伝えしました。
それだけではなく、自分を祝福することの難しさもお伝えしました。本当に難しい···と。
混乱の気持ちをお預かりいただいたのに、また新たに「わからない」等を預かっていただくなんて····どうなんだろう。どうしよう···の迷いがなかったわけではありません。ですが、“ 預かっていただきたい ” この気持ちに素直になろうと思いました。
お預かりいただけたと勝手ながら信じております。
お預かりいただけても、自分の志を大切にする気持ちと感謝と精進を怠ることのないよう、大森義成先生の法話にありますように、自分への祝福が難しいのなら取り敢えず自分はあと、まわりへの祝福から。としております。
今はあの日、あの時へ戻る時間も減り、お修行もさせていただけております。
そして、星に祈る会で大森義成先生に御報告させていただけた『 和顔施和顔施シリソワカ 』を御同行の方が行っていると8月3日のブログ記事で拝読させていただき、繋がっている喜びを感じました。
感謝申しあげます
誠にありがとうございました。
明日28日 日曜日(お不動様御縁日)からのお施餓鬼供養をありがとうございます。
よろしくお願い申しあげます。
拙文となり申しわけございません。
長文をお読みいただきましてありがとうございました。
季節の変わり目でございます。体調を崩されませぬよう御自愛のほど御祈り申しあげます。