私は施餓鬼供養や各行事、メールなどの事務対応、相談、その他の法務、雑事すべて一人でおこなっています。それ以外に自分の修行があります。
多忙は心を亡くすと言いますが、ついに身体から注意信号が来ましたので、少し自分を顧みるようにしています。
幸い、施餓鬼供養や各種供養が、御同行、施主の皆さんのご理解、ご協力で事務対応が順調になり、たいへん助かってます。
尊い志の方々とのご縁に恵まれていて有難い限りです。
おかげさまで、さらに施主各位がより良い方向に進むための、毎月21日の光明真言法での総供養や鎮宅霊符神法の修行ができるように諸事、整ってきました。
供養や修行は、行者と施主が協力しあって成り立ちます。
高祖大師が説かれる通り、まさに両方の掌を打ち合わせ、音を出すようなものだと改めて実感しました。
最後に、お願いです。
緊急の場合をのぞき、申し込み締め切りはできるだけ守ってもらうと助かります。
施餓鬼供養は経木塔婆を書いて、予め開眼供養を修してから勤めます。
私はなんでも修行だという気はないのですが、こういうところを意識する事から供養が始まる(意図が供養には大事なのです)からです。
以上最近感じたことからでした。
シリソワカ