濱地天松居士の体験談
「濱地居士が若き時より金剛経を読誦するを見て「経典はうそを月夜(つきよ)の不如帰(ほととぎす) 形は無くて影ばかりなり」と言って笑う人がいた。
居士はこれに対して「経論はただありがたく読めばよし うその真(まこと)の思う要(よう)なし」と言って、ただ一心に数十年読み続けていたが、実に不可思議の体験を得た。
末法の今日においては生仏に出会って、法を聞くことは不可能である。だからお経によってこれを知るほかに方法はない。ゆえにお経は実に大切に読誦して、仏法を体験すべきである」と。
お経は有難く読誦すると自然に三昧に入るようになっています。
疑いがあると、なかなかその境地には至りません。しかし、初心者は疑いが出るのも無理はないです。一朝一夕に信仰の奥義にはいたりません。
そういうときは、疑いながらでも続けられるかですね。
そこは、各自の精進の力によります。
読経を長年つづけて確固たる信念をえた濱地居士のお言葉は、私たちにとっては道を照らすともしびとなります。
濱地居士は不忍池の弁天さんを信仰していました。