大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

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施餓鬼供養の功徳その273

大森先生


いつもお世話になっております、和歌山県の◎◎です。8月もお施餓鬼供養をありがとうございました。


先生、施餓鬼供養で逆修供養をお願いして凄く良かったです。今回1日毎に記録を取ったのですが、何か自分自身が生まれ変わったかのように思えました。


逆修供養1日目 私は今まで闘いが多い人生でした。人の苦しみ、悲しみ、人が人を苦しめる世界の中で、闘いばかり目の当たりにしてきました。でも、その環境に身を置いていたのは、実は自分にとっての修行だったのだと、思えました。そんなに上手く出来たわけではないけれども、自分が歩んできた道は、修羅の道ではなく、菩薩様の道だったのかもしれない、と思えました。まあ菩薩様とは言い過ぎかもしれませんが。でも、逆修供養をして、初めて自分の道が殺伐としたものではなく、泥に咲く蓮の如くと思えるようになりました。またそう思うと、自分の恵まれている点にも感謝の心を向けられていました。


2日目 春先に私は復讐を果たした、と思えることがありました。復讐ではなく、その人にとって本物の救いになったのだと気付くことが出来ました。
この逆修供養をすると、仏様から見た私の自己と私が生きている自己、この神仏と人間との解離している自己の捉え方が重なり、仏様の見方にシフトチェンジしていくのだと思えました。

3日目 何か楽になったような感じがしました。もしかしたら、今までの「苦しみ」の正体は、自分の前世と関係があるのかなーって少し思えました。でもそれよりも、「苦しみ」の正体は結局実体が無いもので、自己がどう在るかが大切なんだと思えました。←この辺まだまだ難しいです。


4日目 自分は生まれ変わったのだ! と思うようになりました。

5日目 何か精神的にも肉体的にも非常にしんどかったです。眠くて眠くて。逆修供養が魂の癒しになっているような感じでした。

 

6日目は不思議な体験をしました。詳細は誤解をおそれて割愛します。


7日目 「人を許してあげる」という言葉が1日中、心にありました。許してあげる、という言葉だけでこんなに楽になれるとは。魂から怒りが溶けたように、非常に身軽になれました。そして癒されました。


先生、今日は「信仰と災い その2」の記事に救われました。実は随分苦しんでいまして、大森先生の体験談に気付かされることがあり、その瞬間に苦しかった心が溶かされました。誠にありがとうございます。


今回このタイミングで逆修供養をしたのは、やっぱり意味があることでした。先生、私は今までの自分のお役目を終えたのだと思いました。そして、これで良かったのだと思えました。私は自分の道を歩めます。


信仰を真摯に続けると今までとは異なる次元の思考になりますね。


まだまだ未熟な私ですが、先生の下でこれからも精進したいと思います。
和歌山は稲穂の実った光景が美しいです。先生もお身体を大切に。今月もありがとうございました。


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