大森先生
和歌山県の〇〇です。早速滅罪会のお次第を送って下さり、ありがとうございます。また明日にも今月の施餓鬼の申し込みメールを送らせて頂きます。
先生、先月私は色々「分からない」と頭を抱えていました。でも、徐々に分かってきたような感じです。以下、金剛経を読み始めての変化の感想です。
当初「金剛」という言葉がイカつく感じられ、遠ざかっていたのですが、大森先生にその意味を説明して頂き、その意味の美しさに感動して読み始めました。
読み始めて、不思議なことに何故か魂が喜んでいるような感覚がありました。あと、「懐かしい」と思いました。私実は般若心経を読むと毎回コレジャナイ感があって。じゃあ何やねん、って感じでスルーしてたのですが。そのコレジャナイ感が、「そうそうこれこれ」って感じになって。
何か良く分かりませんが、私は深いところで金剛般若波羅蜜経を求めていたのだと思います。
毎日できるだけ2回通読することにしました。
金剛経を読んでいくと
何か自分の思考、意識に極力外からの刺激が入らないようにガードして貰える感じがし始めます。あと、自分の思考を引き上げてもらえます。人への嫉妬とか怒りとか、底辺の感情から意識が澄んでいくような感じます。
それで、読み始めて2週間位すると、何か先生が言ってた、「無心に拝め」、「神仏にお任せしなさい」、「無我相」、「調息、調身、調心」がどういうことか分かり始めました。
金剛般若波羅蜜経を読んでいると、何か思考(?感覚?)が仏様と一体するような自己になります。 だから濱地居士は自分の仕事を、仏様の御行為として捉えられたのだと思いました。これは「無心に拝む」ことで、何というか試練的な山を越えるんですよね。そしたら、「あーほんとだー」ってなりました。
で、「無我相」って何やねんって思っていたんです。
金剛般若波羅蜜経を唱えていると、私はこれが、水の様に諸々の事象に形を変え応じることだと捉えられるようになりました。水の様に自分を変え応じることで、執着せず、苦を減らし、自分の本分を果たせると。時には沸騰することも、また凍り付くときもあるが、それは水蒸気となったり、溶け始めやがて再び水になる、と。
また、羽田先生のブログに書かれていた「蔑まれるは蔑まれるにあらず、これを蔑まれるという。」という記述を読み、「おおおおおお!」と自分の中で凄まじい納得がいきました。大森先生、羽田先生ありがとうございます。
で、最後の「調息、調身、調心」は、これは自然との一体だと捉えました。一体というか、溶け込むというか。でも、最後のこれらは練り込みが足りないですね。掴みきってない。でもこれ結構時間がかかりそうです。
先生、金剛経を教えて下さり、本当にありがとうございます。これからも読み続けます。では長々とすみません。では、また明日施餓鬼の方にメールさせて頂きます。
寒暖差があるこの頃、先生方、ご同行の皆様どうか ご自愛下さい。