【寸善尺魔と申して善事には悪魔のさすものなり。その所をしかと誠をくじかぬ様に一心を治めてさえおれば、何程の邪魔が添うとも苦しからず。】
黒住宗忠師のお言葉。
一寸ほどの善事をする時に一尺の魔がよってくる。善行には、様々な邪魔が入る。そのとき一心を治めていれば、苦も無い。自分のまことをくじくことがない。
信仰していると、内に外にそういうことが起こるときもある。そこで迷いも生まれる。くじけて神仏を捨てる。
しかと自らの一心を治めること。そう黒住師は教えられている。ありがたい。なるほどとうなずく。そう腹をすえる。
また、神仏から離れていると、善いことをしてるつもりで、善事の名のもとに、実は悪事に荷担することが多々ある。そこに気づいて、のめり込まずに、距離をとるのが得策。
金剛経には、私たちがものにこだわりながら布施をするならば、暗闇に人が入ると何も見えなくなるように本当のことが分からなくなると注意している。
一番望ましいのは、無心に善事をして、後はさらりと忘れる。ところが、初めはなかなか、そうはいかない。善根功徳の見返りを期待する。無理もないのだが、青田刈りは要注意。
善根功徳を心がけたら、自分の帰依する神仏に「これを預けます」と念じる。手放す。
たとえば「これだけ善いことをしたのに」などと、いつまでも握りしめていると、魔がよってくる。テーブルのうえにご馳走を置きっぱなしにすると、虫がたかるように。