拝んでいると様々な感情がおきることがある。いくら拝んでも穏やかでいられないときもある。それは自分の内面に意識が向いている証拠である。様々な感情がおこるのは、ある意味、人間なので自然なことではある。
しかし、常に気分よくいたいと思うのも当然だ。
江戸時代の高僧、理観上人は、真言宗の瞑想法である阿字観修行の心得として、
「また腹の立つときも、いろいろと物思いする時も、心が浮き立つ時も、早く阿字を観じなさい。すぐに、それらの心も止むだろう」
と教えている。阿は梵字のことで、諸仏の身体、菩提心を意味する。
これは他の仏さまに通じることなので、阿字の代わりに准胝さまなり、聖天さまなり、お地蔵さまなり、自分が日頃に信心する仏さまを念じて、それを預けてしまうのである。
ついでに悩みごと、心配ごとも仏さまに預けて重荷をへらすと良い。溺れてるときに、あがくと余計沈むが、力を抜けば身体は浮かぶ。同じように、預けてしまい、力を抜いて少し心が軽くなれば、視野もひろがり、解決の糸口も自然にみえてくる。
梵字のア字