大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

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お墓参りの不思議


全てを包む大日如来 - 大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

このお話しの続きを頂きましたので、ご紹介します。

ここから頂いだメール
 
大森先生
こんにちは。○○○○○です。


先日、お彼岸というのに母のお墓参りができなかった件は後ほどと申しました。


長くなりそうですがお許しください。


母が亡くなるまで、核家族の私の家庭には、お墓も仏壇もありませんでした。


両親とも信心信仰とは無縁の人達で、母は宗教的な葬儀はせず樹木葬にして欲しい申していました。


母が亡くなった時、葬儀社と打ち合わせを始めてから、父がやはり仏教の葬儀をしたいと言い出しました。


生前、母が「うちは浄土宗」と言っていたのを思い出し、浄土宗のお坊さんを呼んで戒名をいただき、仏壇のご本尊に阿弥陀様を安置しました。

 


三回忌を迎え、納骨先を探しました。
樹木葬は意外に経費がかかることがわかり、葬儀社が経営する近くの納骨堂に決めました。


そこは真言宗のお寺の敷地にあり、納骨式も今後の御供養も真言宗でやっいただくことになりました。


この世の都合で宗旨替えしてしまい、御先祖様に申し訳ないと思いました。

 


さて翌年の春彼岸に墓参しようとしたところ、お彼岸だというのにお寺に誰もおらず納骨堂に鍵がかかっていて墓参できませんでした。


また深夜のリビングを火の玉が飛んでいる幻を見たり、母の位牌が倒れて実際に仏壇から勢いよく飛び出したりすることがありました。


この頃、知りあいの「見える」人から「あなたはずっとお墓参りも御供養もしていないから、御先祖様が怒っている」と言われたのも気になっていました。

 

 

曽祖父が破産して亡くなったあと後妻や腹違いの兄弟と一緒に居づらかった祖父は東京に出て、現在の本家との関係が切れてしまったからです。


その時、祖父は系図と先祖代々の位牌を持ちだしてしまいました。
本家はこっちだと主張したかったのか、継母への嫌がらせかわかりません。

 

立志伝中の人となり故郷に帰って傾いた家を立て直すという志もあったかもしれません。


しかし曽祖父の莫大な借金を背負っていた祖父は終生貧乏で、家のお墓の管理も結局は後妻さんの子孫がすることになりました。


そういう訳で、御先祖様のお墓はよその家の墓だから行ってはいけないと、私は母から言われてきたのです。

 

しかし、偶然とはいえ、その母の墓参りがなにかに邪魔されているみたいに感じました。

 


またこれも偶然とは思いますが、○○家先祖代々の位牌を持っている家は、常に苦難を抱えていました。

 

先祖代々の位牌を持っているのに墓参はせず、ちゃんと御供養していないからでしょうか?


祖父の家庭は曽祖父が残した明治時代の借金を戦後まで払い続けて極貧の生活をしていました。


叔父は脳梗塞で早死にしましたし、その奥さんは若年性認知症で若くして施設に入りました。


その息子である従兄弟は土地問題で苦しんでいます。

 


私はなんだか彼岸のうちに御先祖様のお墓に行かなければいけないように感じ、近くに住んでいる大叔母にお墓の所在を聞いて往復8時間の日帰り墓参をしました。


93歳のおばあさんの情報ですから、お寺の名前も場所もうろ覚えで、地域での通称しか知りません。


しかもそこは祖父や母から言われていた宗派とは違う宗派のお寺でした。


その曖昧な話と、うちの特徴ある戒名と家紋と名字だけを頼りに不安な気持ちでお墓を探しに行きました。

 


大叔母に言われた通りのお寺はその町にありました。そして祖父が横浜に出て来て宗旨替えをする前は、うちは真言宗だったことがわかりました。


田舎の小さなお寺の墓地と思っていたら、山が三つほどの広い墓地でした。


途方に暮れ「御先祖様、どこ?」と涙目でつぶやきました。


ふと背後に圧力を感じ振り返ると、私の家の名字と家紋、系図で見た特徴ある戒名、曽祖父の非常に珍しい俗名があるお墓がありました。


山門をくぐってわずか10分ほどで、広大な墓地を私は御先祖様のお墓まで真っ直ぐ歩いて来たのです。私はとても驚きました。


偶然とはいえ、ひょっとすると御先祖様の霊は本当にいて、とてもお参りに来て欲しかったのかもしれないと思いました。


そして御先祖様は優しいなと感じました。

 

 


私は五輪塔と墓石をきれいに拭いて、お花と線香を供え合掌しました。

 

その後はうちで妙なことは起こらず、母のお墓にもスムーズにお参りできました。

 


この頃はまだ、御先祖様は確かにいるらしいけれど、私にとっては何を考えているのかわからない不気味で怖い存在でした。


御供養しなければならないと言っても何をしたらいいのかわかりませんでした。


また仏壇の中心にいらっしゃる御本尊様と、どう向き合ったらいいのかわかりませんでした。


その後大森先生に施餓鬼をお願いしたり、滅罪会などで修行させていただくなかで様々な気づきの功徳をいただきました。


御先祖様に対しても、生前葛藤があった母に対しても、最初は怖いからなんとか落ち着いてくださいという気持ちでいましたが、だんだん豊かに穏やかにお過ごしくださいと、暖かい気持ちで祈るようになりました。


そして御先祖様や親の供養をすることは、自分の存在に対して暖かい供養をすることだということがしみじみ感じられるようになりました。


母の墓にお参りできなかった時からちょうど一年たって、仏壇の阿弥陀様と光明真言がつながる体験をいたしました。


母の死をきっかけにヘンテコなことが色々おこったのは、仏道修行の入り口を御先祖様が示してくださったのかもしれないと思い感謝しています。


すごい長文になってしまいました。
お読みいただきありありがとうございました。


まだ夜は寒いですね。先生もどうかお健やかにお過ごしくださいますようお祈り申し上げます。

 


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