滅罪会の修行が進むと、仏さまが近くに感じられることがあります。
もちろん人それぞれですが。
そして、私たちの物の見方は、
認知の歪みというよりは、色メガネをかけているようなものです。
なぜそのメガネをかけることになったのかは、それぞれもっともな理由があるのです。
そこに気が付いてメガネをはずし、違うメガネを自由にかけることが
できるのです。それが許しであります。
そして、感情は心身からの適切なメッセージです。
メッセージは認めて、読むことが大切です。
それを認めて、ありがとう、シリソワカです。
ここからいただいた感想
善龍庵 大森義成先生
こんにちは。
先日は、滅罪会の修行ありがとうございました。
おかげ様で無事3回目を終えました。
「追記 修行のコツ」のおかげで前回より落ち着いて出来たような気がします。
5/12のブログ「醍醐寺参拝」ありがとうございます。
今までは滅罪会で拝む准胝尊御影が上手くイメージ出来ず、懺悔する時にはつい目を閉じていたのですが、
「ご本尊のポストカード」を紹介していただいたおかげで、上手くイメージが出来て御影を見つめて真言を唱えました。
3回目にしてはじめて、准胝観音様に話しかけることが出来たような気がします。
いつか醍醐寺に行って、同じポストカードをいただきたいです。
3回目は「今まで自分の認知が歪んでいることに気がつかず、その歪みのために無意識に他の人を傷つけたことを懺悔します」というのが印象的な懺悔でした。
今「劣等感がなくなる方法 人生が変わる心理学」(加藤諦三著)を読んでいて
p155「自分が自分の主人になることは決して悪いことではないのに、何となく罪責感を感じるのは、それほど自分の感情のあり方が歪んでいるということである。」と明記があり、答え合わせをしているような気分です。
子供の頃からの訳の分からない罪悪感、亡くなった父に対する色々な複雑な感情がありますが、滅罪会を通して、少しずつ気持ちの整理が出来ています。
御本尊様、大森先生、ご同行の皆様のおかげです。
ありがとうございます。