言葉は心を作ると、ある心理学者から伺った。
話す言葉で心も人相も変わってくるから不思議だ。
真言宗は身口意の三密を旨とするにも関わらず、中でも口密である真言を表にして「真言宗」を標榜する。
これまた別の臨床心理の学者から伺ったのだが、私たちの脳は、もともと批判的であったり、悲観的になるようにできているので、繰り返し繰り返しトレーニングして、変容させていく必要があると。
これは修行に直結している話である。
基本的に、真言や陀羅尼は100万遍など多くの数を唱えることが重視されている。
感謝や祝福の言葉を常に口にして、だんだんと自然にそれが出てくるようになると、意識もそういう方に向いていく。
私たちは自分の意識が向いている方の事象に視点が行く。
そして、それを拾いあつめ、自分の現実を形成する。
たとえば心に不安や不満があると、それに関することばかりに視点がいき、それを拾うようになり、不安を証明しようとする。
逆に感謝や祝福の言葉を常に口にしていると、自然と心がそちらを向くようになる。
少しづつ感謝や祝福の意識が高まる。
すると、その事象をひろって、感謝や祝福に満ちた現実を生きられるようになるのだ。
高祖弘法大師は
心 暗きとき 遭(あ)う所 ことごとく禍(わざわ)いなり
眼 明らかなれば途(みち)に触れて みな 宝なり
(性霊集)
と説かれている。
高野山奥之院参道