お稲荷さんにお参りするかたから、願い事がある場合、どのようにお祈りしたらよいかと尋ねられた。
いろいろなお願いの仕方があると思うが、基本は一心に信じて祈る。そして、あとはお任せする。
観音経に「念念勿生疑(念念に疑いを生ずることなかれ)」とある。
なぜなら信によって神仏のお力を受けとることができるからだ。
そして、仏教における稲荷信仰の基盤には観音信仰(稲荷五社明神は如意輪、千手、十一面、不動、毘沙門が御本地)があるので、観音経に「一心称名。観世音菩薩。即時観其音声。皆得解脱」とある通り「南無稲荷大明神」なり、普段唱えているご真言やお経、祝詞を一心に唱える。
もちろん法華経や般若心経、不動経(砂澤先生はお稲荷さんはお不動さまが関係していると言っている、田中社の御本地である)でもよい。
私は仏慈護真言や宝篋印中呪、尊勝陀羅尼など日常拝んでいる真言陀羅尼を時に応じて唱えている。
普段唱えていないお経や陀羅尼などを付け焼刃でとなえても一心にはなれないだろう。
以前に稲荷山で、親族が手術される時、その病気平癒を小学生の二人の子供と祖父が般若心経を一心に唱え続けておかげをいただいた話を伺った。
結局、神様を感動させる祈りが大切なのだ。
私自身は、ご本尊をはじめ聖天さまやお稲荷様には、「今ここで拝まさせて頂きありがとうございます。いつもご加護賜り、ありがとうございます。シリソワカ」と日々、感謝、祝福の祈りをささげている。
しかし、信者さんや修行者のことなど他者のお祈りするときは「〇〇してください」とは祈らない。いままでの経験で自分の願いごとが叶っても、それが良い結果になるとは限らないからだ。
そのかわり、「〇〇のこと、お手配、ご加護を賜りありがとうございます。シリソワカ」とすでに円満にお手配いただいている前提で、感謝、祝福している。
そして忘れてはならないのが報恩謝徳のご供養である。頼みっばなしにしない。私は日々の施餓鬼供養をはじめ、その他の供養行事でそこを強く意識している。
実際、稲荷山に参拝したとき、ある場所で報恩謝徳のための施餓鬼供養を修している。