大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

懺悔 供養 祝福 報恩 敬愛 (c)善龍庵 大森義成 禁無断転載

信仰と災い その2

いったい、この功徳の広大なお経文を読誦して、あべこべに悪い報いを受けるとは、まことにけしからん。それはどういうわけかというと、その功徳によって先世(大森注、前世のこと)すなわち過去に作った罪業によって、まさしく悪い世界すなわち地獄や餓鬼などに堕ちるべきなのに、この経文を読誦する功徳によって、現世において多くの人から、軽んじられ、いやしめられ、災難を受けるというようなことを得るために、前世の重い罪業もその功徳によって消滅し去って、ついには阿耨多羅三藐三菩提、すなわち仏のお悟りをも開くようになるのである。

 

(大森注、この部分は大事なところであるが、気を付けないといけない。他者からの暴力や誹謗を推奨しているのではない。そういう事態にあったときは、相手と距離をとることが肝要である。苦しい状態にいるときは現実的で適切な対応をとるとともに、自分を責めるのてはなく、この災を経て自分の悪業がこれで消えていくのだと、あくまで自心を守る考えの一つとして受け止めたい

 

さて私たちはここにおいて大いに考えなければならない。

人から辱めをうけ、またはこの世の中において、始終自分の思うようにならないことがある。その場合において、自分は不幸せものであると、わが身を嘆く人がいるが、それは自分が無我相であることを知らないからであって、自分というものに固まりついているからである。だから褒められると、俺がほめられたと喜び、ののしられると、俺がののしられたと怒るようなわけで、まことに浅墓な次第だといわなければならない。

(大森注、ここは空の覚りの立場から見て、自我への執着から苦楽がうまれるというぐらいの認識でよいと思う)

 

(大森談、余談だが先日、私の昔から知る人物からの紹介で、一人の施主のご供養を依頼された。いきさつは知らなかったが、よく知る紹介者だったので、大丈夫だと思いそれをひきうけた。すると紹介されたその施主から、意味不明のひどい内容のメールがきた。

相手のことがよくわからないので、その紹介者にすべて対応はまかせ距離をとった。

 

さすがにはじめは怒りを感じたが、この濱地居士の文章を読み、自分の悪業が消えていく相なのだとおもえ、だんだんと溜飲が下がっていった。そしてこの金剛経にあるとおり、末世では供養の功徳を説いても、狂乱して疑いをもって信じないものがいるのは真実だと感じた。写真参照)

 


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鴻盟社版 金剛経より

http://komeisya.co.jp/

こちらのお経本は読みやすい。