運命は自己の行いの善悪と心の正邪とにより、時々刻々に変化して一定するものではない。
だから、いつ災難にあうとか幸福に恵まれるとかは、予測しがたいものである。
しかし、常日頃から行いを善くし、心を正しくするときは、禍いを転じて福となすことができるのは、天理のしからしむところである。
これを以て、その占いで凶と出た場合は、行いを正して金剛経や観音経、または金剛経要品を一心に読誦して、信心清浄にすれば凶が転じて吉となった例が少なくない。
ゆえに悲観落胆してはならない。
またその占いが吉であっても、その行いが悪く、心が邪であるとすぐに凶に変じて災いあること免れない。どうして慎まないということがあろうか。
(大森補 運命は自分の信仰で開拓できる。
悪いことを信じると、無意識にそれを証明しようとして、本当は良いことも悪いこともあるのに、悪い事象にばかり意識がいきます。だから、そこにとらわれないことが大事。
とはいっても迷うのが世の常。それは不安だからです。まずは不安に気づき、神仏にまかすことです。
吉凶に迷わず、吉ならば身を慎み、凶ならば無心に読経して、神仏に任せ、善事を心がけましょう)
天松居士の墓標