「山の修行」「里の修行」
お大師様も高野山と京都を往復されてました。
里に下りてきて、密教をもとに様々な衆生救済の事業をなされました。これが里の修行。
私たちの修行も同じです。たとえ山に籠らなくても、仏前での念誦、読経や寺院参拝は山の修行。(ちなみに町中の寺院でも山号がある)
そこで培ったものを社会生活で生かすのが里の修行です。
大森先生
いつもお世話になっております。
陀羅尼吉祥会に参加致したくよろしくお願いいたします。
独部法修行、准胝観音様の真言、来週中には50万回に到達します。
大森先生の言われた通り、何も考えずにひたすら唱えています。
一応、最初は種字やお姿を思い浮かべますが、唱えているうちに過去のこと、仕事のこと、腹の立つこと、いろいろなことが頭を巡ります。
無心になっていることもあります。
気が付くと、「あれ、もう千回?」といった感じです。
以前はいろいろなことが頭を巡ると、怒りや悲しみといったネガティブな感情が沸き上がってきました。
今は、それらの感情がほぼなくなり、ただ「起こった事実」として、距離を置いて捉えられるようになりました。
もちろん直近に発生した事象については感情が付随しますが、2-3日すると「そういうこともあるよね」といった感じで、徐々に感情が離れてゆく気がします。
大森先生に教えていただいた
「自分軸を持つこと」
「事実を認識し、客観的に自分を見ること」
の2つが、真言を唱えることや自分を祝福することで、少しづつ出来るようになったのかもしれません。
また、この2つができるようになると、物の見方が変わり、行動が変わり、周囲も変わってゆくのではないかと思います。
仕事面でも想定外の事象がいろいろ発生し、自分の希望していた状況に近づいているが不思議です。
何となくですが、「聖天様にお任せする」ってこういうことなのかも、と感じています。
引き続き大森先生のご指導で修行を続け、聖天様に「きちんと修行している」姿を見せたいと思います。
私は、大森先生から教えていただいた「山の修行」「里の修行」という言葉が大好きです。
結局、私のような人間にはどちらが欠けても成長はできないな、と思います。
今後とも引き続きよろしくお願いいたします。