大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵

懺悔 供養 祝福 報恩 敬愛 (c)善龍庵 大森義成 禁無断転載

本龍院(待乳山聖天)と宝篋印塔 参拝


本龍院(待乳山聖天)に数年ぶりに参拝。


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ここは生駒山とはまた異なった独特の雰囲気がある。本堂内にはいり小供養法で、十一面観音、歓喜天の念誦をさせて頂いた。私はとくに願望をいのらず、報恩感謝のお参りである。

堂内では参詣者がおのおの読経、念誦して熱心に拝んでいた。

 

外にでると、本堂のむかって左手には宝篋印塔が祀られている。なかなか立派である。


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伽羅線香を焚き、宝篋印陀羅尼略念誦法を修してご供養させて頂いた。ここでは滅罪を祈願。

 

待乳山の聖天さまに祈願をするかたは、ここでよくよく滅罪を祈ると良いだろう。罪業があるとなかなか祈願が成就しない。由来は以下。

 

本龍院(待乳山聖天)の宝篋印塔

平成13年度登載

 宝篋印塔は平安時代頃から宝篋印陀羅尼経という経典に基づく供養塔として造立が行われています。笠の四隅に隅飾り突起を設ける点が他の石塔と大きく異なる点です。室町時代以降は供養塔だけでなく、墓標としての造立も行われるようになりました。形態的にも変化が起こり、従来の隅飾り突起が笠側面から上方へ垂直に延びているのに対し、時代が降るとともに次第に外側へ反るものが現れます。近世初期になると隅飾りの反りは前代以上に甚だしくなり、加えて相輪に装飾が施されるようになります。しかし、隅飾りつきの宝篋印塔は、江戸時代に入ると次第に造立されなくなり、江戸時代中ごろには、替わって塔身の上に屋根型の笠を付けた宝篋印塔が造立されるようになります。本塔も江戸時代の中期以降に流行した屋根型の笠をもつ宝篋印塔です。

銘文は本塔基礎西面に天明改元辛丑歳/五月大吉祥日/待乳山本龍院現住/恵晃代/御鋳物師/西村和泉守作とあり、東面には16名の奉納者名が刻まれており、蔵前の札差等によって奉納されたことがわかります。作者の西村和泉守は、江戸時代から大正時代にかけて11代にわたって鋳物師を務めた家で、本塔の作者は紀年銘から5代西村政平にあたります。

本龍院の銅造宝篋印塔は、総高163.5センチメートル。本宝篋印塔は、全国的にも類例の少ない銅造の宝篋印塔で、とくに台東区内では、造立当初からほぼ完形として遺存する唯一の事例です。各部の装飾は優れており、鋳物師の名家、西村家5代政平の高い技能を知ることができます。また蔵前に店を構えた札差の奉納物としても貴重な歴史資料です。

下記台東区のホームページから引用


銅造宝篋印塔 台東区ホームページ

自然の道理に叶うこと

故松本実道長老のご法語から。

 

炎は上に向かい

水は低きに流れるのは

自然の道理に叶うからである。

 

私たちの願成就も

先ずこれに到る通りを

作る事より始めねばならない。

 

目的達成の花は

道理の幹に咲くものと知るべし

 

信心の幹を太らせよう。

 

 

大聖仏母準提懺法(準提懺摩法)』ならびに宝篋印準提合行略念誦法を修したのちこれを記す。義成  合掌。

 


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有難いは「おかげ」のはじまり

泉聖天尊(1862~1918)のおさとしに「理屈は抜きにして、ああ有り難かったと思えた時が「おかげ」の始まりぞ」とある。「おかげ」とは功徳のことだ。

 

施餓鬼供養をはじめた、多くのかたがたから、ご供養するようになって、心がスッキリしてきたというご報告を頂く。

 

実にこれも「おかげ」の始まりなのだ。

心がスッキリする。これが続くと、いつの間にか有り難くなってくるからだ。

 

「おかげ(お陰)」というくらい、神仏の功徳は、いつのまにか冥々のうちに授かるもので、はっきりとは分かりにくいが、心にその兆しが現れる。

 

心がスッキリするところから、正しく精進していくと「有り難い」を感じるようになっていく。その感じを維持できるように更に精進していくと、いつのまにか「有り難い」ことが起こるようになる。ただし期待しないで、いることが大切である。

 

 

 

弘法大師

「境、心に随って変ず。心垢(けが)るれば境濁る」と説いている。逆に心が汚れれば、環境にも反映してくるので、気を付けたい。ご用心ご用心。

 


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海施餓鬼、川施餓鬼

昨日は川で、今日は海で施餓鬼供養を修した。これは善龍庵での施餓鬼供養とは別に私の修行で修したものである。

 

水中の群霊など供養し、その功徳を三界万霊ならびに善龍庵でご供養した諸精霊に回向させて頂いた。

 

30年以上まえに、ある大僧正から施餓鬼作法の伝授を受けたとき(私は諸師から伝授をうけている)、その大僧正のお弟子さんは、信者さんが悩み事をもってくると、もっぱら信者を海岸に伴い施餓鬼供養を拝んだと言っていた。

 

法力無双の豪潮大和尚は、しばしば河原にて川施餓鬼の供養を行っている。

 

これは施餓鬼の儀軌に、浄水に施餓鬼の真言で加持した供物を流すと、功徳が大きいと説いていることに由来する。

夕刻に拝みたかったが、儀軌にはあらゆる時間に供養してよいとあるので、まだ日の高いうちにおがんだ。

 

浅草寺貫主であった、故清水谷大僧正は海辺で不思議な施餓鬼の功徳を体験している。以下の記事を参照ください。

 

oomorigijyou.hatenablog.com

 

 

oomorigijyou.hatenablog.com

 


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一切の霊が縁のある天や浄土にうまれますようにと、撥遣作法をした。



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青空に月がみえる。月は浄菩提心を表している。

 

施餓鬼供養の功徳 その15

過去3代14霊の施餓鬼供養をされた埼玉県のAさんから、次のご報告を頂きました。このかたは、息子さんともどもご供養に精進されたかたです。

 

「お世話になっております。
施餓鬼供養の功徳で気づいたことがあります。

施餓鬼供養満願成就の土曜日の朝、
いままで腰が痛いと訴えつづけていた父が、元気に散歩に出て行きました。

 

不思議なのは、満願成就の日の翌日、私が父と同じ状態になり床についてしまったのと反対に、父は、素晴らしい回復をしていった事です。この文を書いている今日も散歩にいきました。

 

娘は、「代わりに痛いんじゃねえ」と、言っていましたが…

私もすぐに痛みは収まりました」

 

これは身代わりというより、施餓鬼供養による悪業の消滅の相といえます。(ちなみに施餓鬼供養が原因で、なにかの状況が悪化することはありません)

 

私たちは良きにつけ、あしきにつけ、両親の影響を一番うけています。それは肉体的、心理的だけでなく、霊的にも。

 

両親が健在なら、施餓鬼供養による滅罪生善の「逆修供養」を、亡くなっていたら「追善供養」を修すことにより、悪い影響は解除され、お互いにより善い影響をもたらす関係へと徐々に変わっていきます。

 

さらに自分自身の宿業の滅除は、施餓鬼による積善にくわえて、準提懺摩法などで懺悔をくりかえすこと、そして、過去七世の父母に回向することが肝要です。

 

ただし、素直にこれができるかたは、すでになかなかの達人かもしれません。両親に対して、抵抗感や複雑な思いを持っているかたも多いからです。

そういうときは、できる所から少しずつ行うと良いです。

そして、これを乗り越えることは、自分の滅罪生善、安心立命における大きな節目にあたると言えます。

 

 

 大聖仏母準提懺法(準提懺摩法)』ならびに宝篋印準提合行略念誦法を修したのちこれを記す。

施餓鬼供養のご案内

大森義成に施餓鬼供養を依頼希望のかたは下記アドレスまでメールください。詳しい要項を送ります。

oomorigijyou-segaki@yahoo.co.jp

 

1.ご供養は毎日曜日からはじまり、7座ご供養して土曜日で結願です。14座、21座、28座など継続してのご供養も可能です。

 

2.施餓鬼供養のお布施は一霊につき7座ご供養して3500円です。何霊でもご供養できます。

 

3.宗旨、宗派、宗教を問わずに、どなたでもご供養することができます。

 

※当庵では経木塔婆に戒名や俗名、三界万霊など供養の対象の名称を記し、宝篋印陀羅尼で加持した浄水に塔婆を浸し、その前で施餓鬼供養を七座にわたり丁寧にご供養します。

あわせて尊勝陀羅尼をとなえて施主の滅罪生善を祈念します。

 

「阿難よ。汝は私(密教釈尊)の教えにしたがって、法の通りに施餓鬼供養するとともに、この施餓鬼供養を、多くの人々に広く教えて、流布することで、それぞれに無量の福を得させなさい」(仏説救拔焰口陀羅尼経より意訳)



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どう受けとるかで決まる

思うようになったせいで、不幸になることもある。

 

思うようにならなかったせいで、結果命拾いすることもある。

 

本当のご利益は仏天にお任せしたところからやってくる。

仏天の視野は無辺だから、先の先まで見通している。

だから、順境にも逆境にも、ともに掌をあわそう。

 

そんなことも踏まえて、故松本実道長老のご法語を紹介します。

 

何事も思うようになるだけが恩寵でない。

ときには過酷なまでに

慈悲(愛)の鞭で打たれる事もある。

 

この鞭をどううけとるかによって

将来の是非が定まる。

 

雲のかかるは月のため

風の散らすは花のため

雨と風とのありてこそ

月と花はめでたけれ(熊沢蕃山※)

 

※江戸時代初期の陽明学者。死語その思想はとくに幕末の倒幕派に影響を与えたという。

 


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