小雨降るなか、千葉の氏神、千葉妙見に参詣した。
松橋神祇灌頂の印明と妙見印明を結誦して、参詣感謝の法楽をささげた。
ここは社伝では北斗山金剛授寺尊光院という寺院で、廃仏毀釈で神社になったという。千葉は過去に妙見信仰が盛んであった。
神道護摩壇ヒミコと称するものが、もちろん唯一神道大護摩法のものとは違います。
豪潮寛海大和尚は天保6年(1835)7月3日に87歳でご遷化されたので、毎月3日がご命日に当たります。
そこで、今朝は大和尚の増法楽のため、豪潮大和尚が編ぜられた『大聖仏母準提懺法(準提懺摩法のこと)』と宝篋印準提合行略念誦法を修しました。
『準提懺摩法』の冒頭に、豪潮大和尚は
「それ懺悔の二字はよく八万の聖教を総持す。たとえば大海のよく百の川を摂するが如し。総じてこれを称すれば則ち懺法なり」
と述べられています。
すなわち、すべての仏教の教えは「懺悔」に帰一します。
さて、われわれの悩み苦しみは無明煩悩とそれにより造られた悪業に起因しています。
この原因を浄除してはじめて、根本的な解決へとつながっていきます。
そのため、密教の修行の最初は礼拝懺悔や真言念誦を繰り返し、悪業浄化するところからはじまります。
昔、ある祈祷寺にいたときに経験したのですが、一心不乱に拝んでご利益を得たのにもかかわらず、心がけが悪くて叶ったことが、不幸につながっていく事例がしばしばありました。結局はその人の煩悩のなせる業なのです。
ご利益をつうじて、仏さまが何を示しているのかに気がつくかが大切です。また、ご利益があらわれないのなら、それはどういうことなのか、そこに秘められたものに気づくことも大切です。
立命の書『陰騭録(いんしつろく)』には「一切の福田は自分の心を離れることがない」とあります。
心の荒れ地から、地道に瓦礫や石ころをとりだして、豊かな福田(ふくでん)へと耕していく。そのすぐれた方法として、懺悔と真言念誦があります。
12月から毎月1日から3日まで、滅罪会(めつざいえ)と称して『大聖仏母準提懺法(準提懺摩法のこと)』と宝篋印準提合行念誦法を修し、広く自他の滅罪を祈り、その功徳を施主各々の過去七世の父母に対して回向します。
※施主様には自宅で拝む「宝篋印準提略懺法(ほうきょういん、じゅんでい、りゃくせんぽう)」をお伝えし、自身の罪業を懺悔して過去七世の父母に回向して頂きます。この法会は滅罪のみが目的ですので、真摯に自己の滅罪の修行を願うかたのみご参加できます。
詳細はまた後日にブログでお知らせします。
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[豪潮大和尚の加持力 その1 - 大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵
その1でおこったことと同様のことは他にもあった。秋月の城下にいた何某の母は、殺生もせず、人に対しても善根を施していた。
しかし、臨終のときに娘に愛着の念を残してしまった。その娘も嘆き悲しんで、母の後を追って自分も死ぬと言いだす始末。
そこで豪潮大和尚の加持をうけると、
「自分は娘に対する愛着のため、そして娘が私に対して嘆きかなしむ。その執着により私は地獄に堕ちていたが、大和尚の加持力により成仏できる。
常に善いことしていても、臨終に愛念を残してはいけない。遺された子供も、亡き親を慕ってあまり嘆いてはならない。死んだものが、地獄に生まれる原因となる。私を手本にして、嘆き悲しむのではなく、光明真言を唱えてください」
と言いながら成仏していったのだった。
(義成注、この話に関しては現実的には、難しい側面がある。身内や大切な人を亡くせば悲しいのは自然なことである。そのときは適切に悲しむとともに真言念誦や施餓鬼供養をすることが、今、故人に対してできることなのだ。以下の関連記事もあわせてご一読頂きいたい)
家の周りを餓鬼がうろうろしていた話 - 大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵
大和尚ゆかりの京都、積善院準提観音堂
10/27からの施餓鬼供養は、本日七座結願しました。継続でのご供養は引き続き拝まさせて頂きます。
明日11/3からのご供養のかたには、自宅での供養法をおくりました。ご確認頂き、名前など間違っていましたら、お手数ですがご連絡くださいませ。
合掌
大森義成に施餓鬼供養を依頼希望のかたは下記アドレスまでメールください。詳しい要項を送ります。
oomorigijyou-segaki@yahoo.co.jp
1.ご供養は毎日曜日からはじまり、7座ご供養して土曜日で結願です。14座、21座、28座など継続してのご供養も可能です。
2.施餓鬼供養のお布施は一霊につき7日間に7座ご供養して3500円です。何霊でもご供養できます。
3.宗旨、宗派、宗教を問わずに、どなたでもご供養することができます。
※当庵では経木塔婆に戒名や俗名、三界万霊など供養の対象の名称を記し、宝篋印陀羅尼で加持した浄水に塔婆を浸し、その前で施餓鬼供養を七座にわたり丁寧にご供養します。
あわせて尊勝陀羅尼をとなえて施主の滅罪生善を祈念します。
「阿難よ。汝は私(密教の釈尊)の教えにしたがって、法の通りに施餓鬼供養するとともに、この施餓鬼供養を、多くの人々に広く教えて、流布することで、それぞれに無量の福を得させなさい」(仏説救拔焰口陀羅尼経より意訳)
施餓鬼供養の功徳 その13 - 大森義成 滅罪生善道場 密教 善龍庵
梵字ア字
準提観音の成就者であり、法力無双の高僧、豪潮寛海大和尚は、二十歳のときに比叡山の妙厳比丘から準提独部法を授かり、ついに本尊から密印を直に授かり、本尊と変わらぬ法力を身につけたという。
その高徳を聞いた人々が大和尚の説法に集まり、加持をうけると様々な霊験があったと伝えられている。
亡者友達に託して成仏したる事
筑前秋月の城下町(現、福岡県朝倉市秋月)に住んでいた綿屋正兵衛の娘である「つた」は、常に準提観音を信仰していた。豪潮大和尚のお加持があるときには、家に居ながらでも香花を供え、礼拝していた。(義成注、これを遥拜という)
寛政10年9月26日に遥拜していたとき、たちまち正気をうしない、霊がとりつき話初めた。
「我は甘木屋喜三左衛門の娘、りくである。三年前に亡くなった幼子を残したことが気がかりになり、愛着深くして極楽の近くまでは行ったのだが、そこからは一足も先に行くことが出来ずに、ただうろうろと今日までさ迷っている。
この頃は施餓鬼の供養にもあったが、その甲斐なく、この事を親たちに知らせないと、と苦労にも思っている。つたさんは、生涯の朋友のよしみでいま憑依したのだ。このことを私の妹のおれいに会って話して、ここに呼んできてほしい」と。
そこで妹のおれいを呼びに行き急いでくると、りくの霊は先ほどの話をしたあとに「おれいさん、あなたも信心はしているが皆我が身の欲のためで、自分の病気平癒のためのみにお加持を受けられているので、姉の私のためには少しもならない。だから3日ほど私のために豪潮大和尚のお加持をうけてくれれば、成仏できるのです」と頼られたので妹のおれいは、大和尚説法している高場村に参り、しかじかと頼んだ。
高場村の説法が終わって、大和尚は依井村に行って供養の法要を行った。
亡者が、妹のおれいに会って「お加持をうけてくれ」とたのんだ日から、今日の施餓鬼の供養は3日目にあたっていた。
供養がおわるころに、「つた」の前に「りく」の霊が現れて「あなたのお陰で、ただいま成仏いたします」と厚くお礼をのべたのだった。
豪潮大和尚建立の宝篋印塔(総持寺)
我弟子等。自従無始曠劫至於今日至心懺悔。
帰命十方仏。宝篋印法塔。釈迦牟尼仏。
大聖準提尊。一切賢聖衆。悉知悉見我。
今身若前身。所造諸悪業。我今盡発露。
衆罪皆懺悔
(宝篋印準提略懺法より)