様々な体験はそのあとにどういう気づきが伴うかです。
好相だと感じてもそこにとらわれることなく、信仰をふかめることが
最も大切なことです。
弘法大師は求聞持法の修行の後、世間の名利にたいする執着がなくなったと三教指帰にのべています。そしてますます修行の志が深くなったそうです。
不思議よりも安らぎです。
ここから頂いたメール
大森義成先生
拝啓、小暑の候、ご清祥のことと存じます。
さて、先日は、尊い陀羅尼報恩会のお次第を賜りまことにありがとうございました。
一か月、ほぼ毎日、(できなかったときは、回数を補いつつ)、御神仏ご眷属御同行諸
先生に報恩することができました。
ここにご本尊様ならびに先生様に一応満願の報告を致します。ありがとうございました。
今回の報恩会でも、御同行の皆様が報告されているような身の回り、みずからの変化が
ありました。
不妄語の戒めはありますが、報恩会の初日、いただいたご次第の最初のページの尊勝陀
羅尼曼荼羅様の円形が右回転したような眼の錯覚に襲われたあと、なんとも快く、その
中心から光が心と体に差し込む気がいたしました。
一瞬のことで、おつとめのあと、ふりかえると、その光は、小さな梵字が砂金のようになって、X線のように、我が身の原子の間の空間を通り過ぎて、浄化をしてまた返して戻っていただいたのだ、これが空性というものだと納得するところがありました。
この現象はおそらく、ご本尊の御威光はもとより、大森先生の御加持の力によるものだと思います。ありがとうございます。
それを思い出すと、不快が生じた際は、準提様の息災御真言をとなえると、ベールのようなバリアに包まれた快い気持ちが思い出されて、だいたいおさまるような気がするはずだとわかるところまでたどりつきました。
ただ、心身の不快を抑えることをいつもできているわけではありませんので、陀羅尼および御真言念誦あわせて報恩の修行していきたいとおもいます。修行によって、自分の不快から人を傷つけそれがまた自分に帰ってくる悪循環がなくなるのが、息災なのだ、と思いました。
このたびは、誠に貴い報恩の法をお授けいただきあらためてご本尊様、大森先生にここ
ろより御礼を申し上げます。
お盆を日かえ御寺務もお忙しいと存じます。長文のメールをお読みいただきありがとう
ございました。末筆ながら、梅雨の時節柄ご自愛の程をお祈り申し上げます。合掌