浄厳大和尚の高弟、蓮体和尚が記した『宝篋印陀羅尼和解秘略釈』という本のなかに、亡くなられた方のために真言陀羅尼を唱えるときの心得が書いてある。
まずどうして、真言陀羅尼が供養になるのかというと、
六大無碍のゆえに、四曼不離のゆえに、三密加持のゆえにと『即身成仏義』の文を引いている。
回向するために真言陀羅尼を唱える私は六大(地水火風空識という宇宙の構成原理)でできている。
回向をうける亡くなられた方も六大でできている。そして唱える真言陀羅尼も六大でできている。
この六大とは法界体性大日如来の身体であるから、私が唱えれば亡くなられた方も唱える。それは同時に大日如来も唱えているのである。
さらにすべての仏菩薩も同時に唱えている。さらにそれだけではなく、地獄、天堂、浄土、穢土もすべて同時に唱えている。
だらかわずかに七回、宝篋印陀羅尼をとなえるだけで、実ははかりしれない数の陀羅尼を唱えているのであると。
ここまでの観念に住するのが難しくても、自分と仏さまと供養をうける方々、ひいてはご同行、そして宇宙全体が一緒に真言陀羅尼を唱えているとなんとなくでも、思って念誦すると大きな功徳になるのである。
これを応用すれば、宇宙全体が自分の唱える真言陀羅尼で響いていると観想する。
あるいは、こういう唱え方が難しいという感じる方には、ただ仏様にお任せする、預ける気持ちで真言陀羅尼を唱える。
自分の真言陀羅尼の功徳で成仏させるんだ!と力まないことが大切。