以前、友人にそう尋ねられたので、
「ご先祖は自分だよ」
と答えた。
過去の先祖の代表は今の自分。
だから先祖供養は自分を供養すること。
不遇が続くのは「先祖が悪いから」と嘆く人がいた。
そう思うのは無理もない。どこかに責任を転嫁したくなるのは人情だ。
いや実際そういうことも少なからずあるだろう。
逆にそういう脅しを使う宗教がある。
先祖が地獄に落ちている。先祖が恨まれている。
供養すれば救われると…
これをマッチポンプという。悪役にされたご先祖は苦笑している。
悩んでいると心は無防備なのでそれに引っかかる。
面白いもので、ほんの一時だが先祖のせいにすると、自分が嫌な感情を負わなくて済む。一時しのぎにはなる。だがいつまでたっても安らぎは無い。
そして、先祖を否定することは自分を否定することである。
当然、悪い先祖もいれば善い先祖もいる。
善い悪いと裁くといつまでたっても終わらない。それを迷いという。
それよりも、その善悪を認め、祝福し、回向し、越えていく。
もちろん簡単ではないが、続けていると自然にそうなる。
感謝できる日がやってくる。不思議な計らいもある。
それが先祖供養の本質であり、自分を尊ぶ道、すなわち密教の供養である。
一切皆清浄 シリソワカ
大宝楼閣とは私たちの心にある菩提心の姿である。